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愛国者は愛する国を滅ぼす (『暁烏敏全集』19巻392頁)

2020.08.01


八月は暁烏師のご祥月(香草院釋彰敏・昭和29年8月27日西帰・満77歳寂)である。拙寺では30日(日)に師の法要「香草忌」が勤まるが、そのお待ち受けとして、また敗戦記念日を迎えるにあたって、さらに現在の政治状況に触発されて、上掲の一言を掲げた。当時師が刊行されていた月刊誌『同帰』 昭和23年6月号に掲載された 「寸鉄人を刺す」 寸言である。
拙寺には掲示板が二か所あるが、もう一か所には師の「多数決は真理ではありません」を掲示した。「真理ではありません」との洞察を与えて言いきらせる力こそ真理であり、「信心の智慧」(「正像末和讃」『聖典』503頁)である。


いずれもいわゆる政治評論とは一線を画す響きがある。 如来の「覩見(とけん)」、迷いの根底を見抜く洞察眼が生んだ言葉である。一瞬の閃光(せんこう)の如く、我らを曇りなく照らし破る。 池田勇諦先生が仰る「政治問題がそのまま真理問題」とは、こういうことだったか。 平易な言葉でありながら、日々新たに深く、私にない視座を一瞬開いてくださる。


真宗大谷派の2017年の不祥事報道( https://www.sankei.com/west/news/170426/wst1704260015-n1.html )に続いて、「 人権に関わるテーマを専門的に取り扱う部署」(本年6月30日付「京都新聞」)のパワハラ事件に関する報道( https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/294706 )があった。記事後半では「 組織内で毎年のようにハラスメント事案の相談が発生している」が、組織内の委員会がパワハラ認定しない’お手盛り傾向’を暗に示唆する書きぶりである。確かにパワハラ事案の認定には、デリケートな一面は存在する。が本件の加害者に部署の異動さえ命じず、2017年の加害者も部長職から教務所長職への横滑り人事なのだから、そう書かれても仕方がない。2017年以降も人事部さえ設けず、加害者にお咎めなし―。基本的なモラルや法令順守さえをも軽視する歪んだ特権意識が生む悲劇であろうか。信心以前の稚拙さが我々寺院社会の実態である。
ある門徒から「住職、ネットで見たけど、どうなっているの。お寺さんはカイシャよりひどいね」と言われた。仰せの通り。済ませることができない、済まなさである。差別だ、原発だ、憲法だと外には厳しく、内には手ぬるい。その手ぬるさは寺院社会に流れる血統主義を源とする閉鎖性であり、そこから生まれる強力な同調圧力が社会からの隔絶を正当化し得るのだろう。

一方で仏法は血ではなく法を重んじる。民族主義ではなく、普遍の法治を仏法は説くのだ。
師はさらに言う。「日本が独立しても、独立の出来る日本人がどれだけ居るだろうか」。(昭和26年3月宗務総長当時・翌27年連合国による占領統治が終わり日本独立)
依存でも孤立でもなく、独立である。自我分別からの独立、真の公共性=聖徳太子に始まるサンガ国家=真の法治国家樹立の悲願である。

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