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コラム・法語
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♪二百浬(かいり)をぎりぎりに 網をかけてゆく♬

2022.11.12

曽我量深師:昭和41(1966)年5月27・28日 暁烏敏師13回忌法要記念法話(於:明達寺本堂 撮影:横山定男氏)

カラオケもご無沙汰ですが、タイトルは北島三郎「北の漁場」の一節です。ウミネコが鳴き、波音が響く、♬ザ・演歌!ですが、「二百浬(かいり)」とは、沿岸から約370km(200海里)までの海域を指します。「排他的経済水域」とも呼びますが、海域内の魚などの水産物や鉱物は沿岸国が得る権利が国際的に約束されているのです。
とはいえ「ぎりぎりに網をかけてゆく」とは、日本の領海外に海洋資源が豊富な北方四島があるからで、自国領と主張するロシアによる日本漁船の拿捕や銃撃が今も続いています。(2006年8月第31吉進丸事件・銃撃により日本人男性1名死亡など)

昭和27(1952)年初夏、北海道根室に御巡錫された曽我量深先生は、境界を超えると拿捕される「ぎりぎり」の出漁の様子を耳にされ、海域に厳然とした境があることを知ります。
そのことから「国境の町、根室においてたまたま分水嶺(ぶんすいれい)の本願ということを感得せしめられた」(『分水嶺の本願』「序」・昭和29年・真人社)、「この分水嶺ということを根室で感得した。考えたのではない。考えたものは概ね虚偽である。回向にあずかったのは歴史的のことである」(55頁)と仰っています。主に第11願「住正定聚」についてご法話は展開していますが、同書からの抜書を列記します。

「第十一願は大体浄土と娑婆の二つの世界の分水嶺である。その元は一如法性である。その一如法性が南無阿弥陀仏になって、そこから人間の世界と仏の世界とが、三角形の二辺のように分かれて出ると親鸞はご覧になった」(54頁)
「南無阿弥陀仏と仏を念ずると、仏の世界と人間の世界の分水嶺に立たしめられる・・二つの世界の接する一点に立たしめられる」(75・76頁)
「正定聚とは与えられた分限をはっきり知るのが正定聚である。分を知る。仏に助けられた人は分を知る。これは清澤先生が長い間苦労された後に感得されたことである」(59頁)
「正定聚とは現在に自分の分限を知ることである。宿業を知ることである。宿業が分限を明らかにする。宿業はみんな違う。大工さんは大工さん。左官さんは左官さん。男性に女性、それぞれ違う。違うところに如来の回向がある」(74頁)
「エピクテタスを読む人は沢山あるが、それで自覚の分水嶺を明らかにする人はない。清澤先生あって初めてエピクテタスによって眼を開かれたのであろう」(106頁)
「親鸞は法然に遇った時初めて行證一体、つまり浄土真宗で申せば本願相応ということ、順彼仏願故ということ、あれが行証一如ということと分かったのであろう・・法然の姿の上に行証一如の姿を法然の顔の上に拝んだのであろう。これが大無量寿経の五徳現瑞の一段であろう」(158頁)


曽我量深師(撮影:横山定男氏)


私は根室の漁師の命がけの姿勢が、曽我先生の上にこの感得を生んだ事実に感銘します。分限を知り分限を尽くす、「北の漁場」に命をかける漁師の生活が正定聚の現実相と見えたのでしょう。
法話において「資生産業に真剣になるのが仏道修行である。自分の命を打ち込む、そして真剣になって仕事に励むのが仏道修行である」(139頁)と、曽我先生が仰っていることは、極めて重大な教示です。この点が欠落すれば、浄土真宗は、我々庶民からは縁遠い知的遊戯に堕ちましょう。

9日の自坊定例法座にて、池田勇諦先生の報恩講でのご法話〈後席〉を視聴後に、ご常連の参加者から「曽我先生の分水嶺の本願が・・」とのご発言があり、その場での自分の応答を確かめる為に再読したところ、様々な発見がありました。
分限の自覚とは、狭いところに押し込める話では決してなく、尽分の全力投球を促す教えです。また「運命論」からの解放が宿業の目覚めです。南無阿弥陀仏

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