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コラム・法語
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「アンタ、私に会えてよかったね」

2020.12.24

木口敏雄氏(自宅にて 2010年真宗大谷派『同朋新聞』取材を受けて)

12月18日木口敏雄法兄が満92歳でご西帰された。昭和3年横浜生まれ。 横浜港で港湾荷役の仕事をしていた実父と共に軍属として徴用され、小さな艀(はしけ)で芝浦・川崎・鶴見・横浜を行き来し貨物を運んでいて、横浜大空襲の際も「船上にいたので難を逃れた」と言っていた。
度重なる空襲によって首都圏が壊滅的になった昭和20年、北海道に移住する「拓北農兵隊」の募集に応じて家族で北海道に渡った。連れ合いの和恵さんも同様に東京都豊島区から渡道された。道中、列車が機銃掃射に遭うなど、命からがらの旅程だったという。
明治期からの開拓を経た道内には昭和20年当時農業に適した土地はもはや少なく、戦時中の混乱もあって様々な苦労があったそうだ。渡道して間もなく終戦を迎えた。慣れない農作業に音を上げて住み慣れた首都圏に帰った人も多く、夕張郡長沼町に移住した68戸の内、現在残っているのはわずかに2戸という。晩年になっても胸板は分厚く、手はグローブのようだった。
実父の葬儀を縁として、聞法生活が始まる。そして「おとうさん」と慕われていた前田政直さんのサンガとの出遇いが一生を方向づけた。前田さんは、自宅とは別に虎杖浜に「光泉園」と名付けた二階建ての道場を建立。木口夫妻も当時は若手としてそこに通い詰めた。
前田さんが師事した高橋卯平翁の仰せ「目の前のお方は、お前可愛いばっかりに身をやつして現れてくださった仏さんだぞ」という言葉は、本山の旧同朋会館2階講義室に長らく掲示されていたから覚えている方もおられよう。この一言は「普等三昧」「諸仏現前三昧」であろうが、甘い言葉ではない。それとは真反対、仏を仏とも知らず、仏を足蹴にしている我が身を照らしてくださる金言である。
そして前田さんに教えを乞うべく訪ねてきた林暁宇先生に出遇う。木口さんは「林さん」とも生涯を通して共に歩むこととなる。

左:前田政直氏 中:木口敏雄氏 右:林暁宇師


前田さんの仰せを記す。(電子書籍『北の大地に念仏の華ひらく』参照  北の大地に念仏の華ひらく: おとうさんとよばれたひと (響流選書) | 林 暁宇 | 仏教 | Kindleストア | Amazon  具足舎刊行の古書も流通している)

〇煩悩さまが有難い
〇いつまでたっても頭が下がらんので、頭が上がらなくなりました
(2016年本山阿弥陀堂還座式記念法話の結びで池田勇諦師が引用)
〇腹が立つので喧嘩ができん
〇大船は浅瀬では間に合わんのです
〇お浄土って子どもに帰らしてもらえる世界のことでしょう
〇娑婆と仏法様とはハンコのようなもので、反対に彫ってある字が捺(お)すとちょうどまともな字になってうつるんです
〇合羽(かっぱ)に水かけたようなもんで、浴びるほど教えを聞いても、御恩を浴びても、ちっともしみこみません
〇高(たか=上)へ上がることしか知らん。「あの人は上がっとる(傲慢になっている)」と言って、その上がっとる人の上へ又上がっとる
〇(頭を)下げたとか下がったとか思っとるのが早や頭を上げとることだもの
〇下がらん我が身だということを知らされ、そこでお念仏に変えさせてもらう。自分が下がらんので、なむあみだぶつの親に下げてもらう
(林暁宇著『北の大地に念仏の華ひらく』 後半3句は河合次吉・ツギ夫妻)

前列右から2番目:木口敏雄氏・左隣(眼鏡):西村見暁師・左隣(帽子):前田政直氏・最後列(白セーター)木口和恵氏 林暁宇師から紹介を受けた西村師が前田氏を訪問(光泉園前にて)


木口さんの聞法姿勢は半端ではなかった。「おとうさん」について歩き、家を空けたまま帰ってこないことも度々だったから、妻和恵さんは呆れ、大げんかもしばしばあった。法語のコピー、法話カセット・VHS、後にDVDのダビング、仏書の施本・頒布もハッキリ言って度が過ぎていた。DVDプレイヤーを5台連結し、同時コピーが可能になっていた。 例えば 大規模研修会の全参加者300人に1人当たり10枚組で配布するのだ。参加者の中には不審がる人や迷惑に思う人もいて、時には苦情も届いていた。また私の法話DVDを無断で大勢に配っていることを知り「絶対にやめてほしい」と厳しく伝えたこともあった。
ある時に「木口さん。配ってもDVDを見ている人はわずかだろうし迷惑な人もいるんだから、希望する人だけにしたら」と言うと、「いいんだ。大勢に配って一人喜んでくれればそれでいいんだ」と即答され、何も言えなくなったこともあった。DVDを3000枚、5000枚と大量購入するので、札幌のヨドバシカメラの店員とは顔なじみだとも言っていた。
法語のコピーの為に買い求めた家庭用コピー機はわずか1週間で壊れ、メーカーに問い合わせたら「設計限度を超えています。お客様の用途では家庭用の機種では無理です」。そこで近所のコンビニのコインコピー機を独占したが、業務用の機械も2週間で壊してコンビニ店主に嫌味を言われたらしい。どれだけコピーしたのだろうか。
林先生のご縁で初めて会った2005年頃には、ライトバンのテールゲートを開けると数十種類の書籍が荷台を敷き詰めるように並んでいて、移動書店の如くに別院の駐車場で店開きしていた。

年に1,2度は拙寺に泊まり、北海道に行く度に聴聞に来て下さった。最後に会ったのは今年9月初旬の札幌某寺だった。かなり瘦せられて弱っていたが、痛む足を引きずりながら参詣下さった。

11月半ばに余命宣告を受け、月末に電話があった。「 アンタにだけ言っておくが、医者からあと1年もつかどうかと言われたんだ」と言われた。しばし無言の後に「木口さん。今、何を思う?」と尋ねると、「たくさんのよき人に遇わせていただいた。覚悟はできとるよ。悔いはない」と即座にいいきられた。18年3月18日に妻和恵さんのご命終後に「木口さん、奥さんが居なくなってやっぱり寂しいでしょう? 」と訊ねた法友に対して、「何が寂しいのさ。だって仏さんになったんだよ」とむしろ怪訝な表情を見せたと聞くが、いかにも木口さんらしい。
タイトルの「アンタ、私に会えてよかったね」は、初対面の人に手を差し出し握手しながら木口さんが口にする言葉である。自信過剰のごう慢にも聞こえるし、絶対に言えないし、思いもつかない言葉だ。だが長年劣等感に悩んだ木口さんが南無阿弥陀仏に出遇い、南無阿弥陀仏から賜った一言だったのだろう。念仏申す身を賜わった喜びでもあろう。「もう自分とは呼べないものなんだ」とのある老媼の述懐を法話で聞いたことがあるが、まさしくそれだろう。

妙好人、底抜けの稀有人であった。はにかむような笑顔。寺に来るなり「ビールないか」。あんな人は、なかなか生まれない。私はやはり寂しい。 南無阿弥陀仏

2016年12月東京了善寺本堂にて 左:藤井夫妻(山口県・東昇博士息女 雅子氏夫妻) 中央:木口敏雄氏 右(青セーター):渡邊愛子先生(滋賀県・仏典童話作家 ※『同朋新聞」に『仏典の星ぼし』連載中)

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