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コラム・法語
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南無仏 

2021.03.20

南無仏太子像は、奈良県元興寺(がんごうじ)所蔵です。
太子が初めて話した言葉は「南無仏(なむぶつ)」でありました。「二月十五」は釈迦涅槃の日であり、あわせた掌の隙間から佛舎利(ぶっしゃり=釈尊のご遺骨)がこぼれおちました。それは釈尊が聖徳太子となって「和国」に誕生された-「和国の教主」(日本国の釈尊)であることをあらわします。「ひむがしにむかひて合掌し」とは、印度の釈尊が東国である「和国の有情」を合掌礼拝したもうとの奉讃でしょう。

上述は暁烏敏師のご門下であった奈良県 岡本精一(暁精)師(大和仏教センター開基)の名著『南無仏』のご教示によります。

以下は 同朋大学仏教文化研究所客員所員 脊古真哉(せこしんや)氏 「聖徳太子信仰と真宗」(『ともしび』2021年3月号)講演録からの抜粋です。大事な視座を端的に表現してくださっています。

『親鸞存命中に本願寺はなく、親鸞は本願寺教団の創設者でないことは言うまでもありません。言うならば、親鸞は初期真宗門流の始祖であって初期真宗の人でした。そう捉える方が親鸞という人の実像に迫れるだろうと思います』

「初期真宗」とは、いわば親鸞聖人その人の信仰そのもの、聖人が呼吸された天地を指します。聖徳太子「奉讃」の底流には、幾度もの念仏弾圧に遭い「世のいのりにこころをいれて」「朝家の御ため、国民のために、念仏をもうしあわせたまいそうらわば、めでとうそうろうべし」(聖典569頁)と願わずにおれなかった親鸞聖人の深い「いのり」が感ぜられます。

激動の今年。聖徳太子を仰ぎ見る親鸞聖人に心惹かれます。南無阿弥陀仏

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