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【開催報告】春の彼岸会法要

2023.03.21

真宗大谷派 守綱寺(しゅこうじ・愛知県豊田市) 渡部半蔵守綱の子孫である三代目治綱が創建 前住職の渡邉晃純師は大谷派出版部長や別院輪番を歴任された方で、若い頃は明達寺におられたことから、林暁宇先生らとのご縁もあり、出版部長時代には『三味線婆ちゃん』の出版などを手掛けています 

14時から法要(お勤め)。堂内ではマスク着用としましたが、「仏説阿弥陀経」「正信偈」「念仏」「和讃」「回向」を 久々に全員揃ってお勤めしました。

その後には、法話「汝、どうする?」。
NHK大河ドラマのタイトル「どうする家康」では悩む家康像が描かれています。若き家康が窮地に立った三河の一向一揆の放送回では、家康の家臣本多正信(松山ケンイチ)、渡邉半蔵守綱(木村昴)は、主君をすてて一揆側に回る決断を下します。二人の家臣が「どうする?」と現実から問われた時、主君に弓矢を放つ側に立ったことは、「自分は何を第一義として生きるか」の決断がなされたことを意味します。「孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静己にあらず、出没必ず由あるがごとし」(聖203「行文類」『論註』 意訳:親の言いつけを守る孝行な子どものように、忠実な家臣が主君の命に帰するように、自分を立場とせず、出処進退は必ず親や主君の心にかなうように生きるようなものである)とある通り、「如来こそ真実の親さまであり、仕えるべき唯一の主君」と選びとった、仏弟子としての決断です。
一向一揆に対する評価は分かれますし、純粋な信仰闘争であったかどうかはわかりません。ですが、ギリギリの局面に立たされた時、その境遇からの問いかけに対する応答の先例です。
現代では主君も一揆もありませんが、例えば最も大事な終活として、「自分が次の世代に、これだけは伝えたいという遺言は何か」と自問する時、何が湧きあがってくるか、です。湧き上がってきたことが、その人が生涯仕えた主君でしょう。


参詣は本堂15名+Zoom8名でした


法話の要旨とも重なりますので、本日の表白の一部を以下に掲載します。

「今夜はお肉か?お魚か?」から、「どう返答したらいいのか?」、「進学か?浪人か?」、あるいは「延命措置を行うか?」との厳しい決断を迫られることもあるのが人生です。苦渋の選択もあり、とんとん拍子もあり、時には決めるに決められない局面に立つこともありましょう。ドラマでは、悩む家康像が描かれています。親鸞聖人も、例えば比叡山を下りるかどうかについて、どれほど悩まれたことでしょう。
一面において、仏法は決められない私に決断(「宜自決断」大経・聖65)、態度決定を恵む教えです。同調圧力に弱く、「みんなはどうするの?」と周りを気にし、損得を判断基準とするから決められない私を「他に道無し、南無阿弥陀仏」とよび覚まし、「何が人間を目覚ますものか、何が人間をいよいよ眠らせるものか」(池田勇諦師の仰せ)と私が立場とする判断基準を問いかえす作用こそ、生きてはたらく仏法です。「みんな」でなく、「親鸞におきては」と聖人を態度決定せしめた力こそ、他力の仏道の真骨頂です。―「みんな」でなく、汝を生きよ!― との促しです。


法話の結びに林暁宇先生のお連れ合い、綾子様の句を味わいました。
「春愁(しゅんしゅう)やふと死にたくも生きたくも」
揺れ動き、惑い続けるわが身が照らされたからこその一首です。動じなくなるのではなく、動じているままに不動の彼岸に遇った表白です。揺れ動いていける出発とも聞こえてきます。南無阿弥陀仏

守綱寺本堂内陣 伏見桃山城の軍議評定所をそのまま移築しています 床は人が歩くと鳴るウグイス鳴きの仕掛けです 作戦会議を開いた場所がそのまま内陣となっている迫力が伝わってきます



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