了善寺について
月岡芳年作「東海道金杉橋芝浦」
(国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」より)
車窓から臨む了善寺
かつては東海道に近い海辺の町でしたが、今ではオフィス街に変貌しました。 羽田空港や品川駅・東京駅から近く、車では首都高速「芝公園」出口から約1㎞・5 分、最寄り駅(JR 田町・浜松町/地下鉄大門・三田 ・芝公園から徒歩約10分と便利な立地です。
田町駅と浜松町駅の中間でJR車内から、あるいは東京モノレールの車窓からも了善寺は臨むことができます。
銀杏の大木と二階建て様式の本堂が了善寺です。
了善寺の存在意義は、浄土真宗 に遇う場所=聞法道場であり続けることです。それは「寺院に仏法無し」との足下の現実を出発点とする勇気を賜り続けることでもあります。
縁あればどうぞお参り下さい。お待ちしております。
南無阿弥陀仏 住職拝
了善寺入口
二層様式の本堂と向拝、境内
銀杏の大木とお墓、甍を見る
内陣と阿弥陀如来像
寺所蔵 書軸
暁烏敏師書
帰命尽十方無碍光如来
お内仏のお脇掛け本尊である十字名号。 出典は天親菩薩『願生偈』であり、南無阿弥陀仏の意訳である。暁烏師が盲目になられてからの墨跡と推定され、自由闊達にして柔軟である。
暁烏敏師書
独立者は〈常に〉生死巌頭に立在すべき奈里 清澤先生の語
清澤満之師『絶対他力の大道』の一節。独立とは自我分別心・自分の思いからの独立解放を意味する。足下に回帰する超越である。
西村見暁師二行書『女犯偈 』(にょぼんげ)
行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽
親鸞聖人29歳時に京都六角堂にて出遇った救世観音の夢告といわれる。女犯を人間存在の大地として摂取するのが阿弥陀の本願である。
證如(しょうにょ)上人(永正13(1516)年~天文23(1554)年)書
南無阿弥陀仏
戦国時代を生きた本願寺第十代。蓮如上人の曾孫。