み仏は地にひれ伏して十方の衆生を拝む方にておはす(暁烏敏)
2021.11.01
石川県白山市美川「勝見仏壇店」勝見博徳氏は、林暁宇師を通じてご縁をいただき、令息の喜巳博氏は縁あって了善寺の衆徒(所属僧侶)になっておられる。
「念仏の声が聞こえる老人施設を建立したい!」と一念発起し、紆余曲折を経て片山津に社会福祉法人「加賀福祉会」を設立し、複数の老人施設(サ高住・デイケア・グループホーム等)を運営されている。施設名称は『十七条憲法』から頂戴した「やわらぎ」、あるいは「太子の家」と実に振るっている。
毎月2回の聞法会、花まつり、盂蘭盆会、報恩講(一昼夜)が勤まっており、新型コロナ前は私も毎秋の報恩講にはお参りしていた。入所者に加え、近隣の法友も加わり、5,60名ほどは参詣されている真の意味での「寺」である。
社会福祉法人の会長であり、仏壇職人でもある博徳氏はたたき上げの職人気質だが、高田派の僧籍ももっている。林先生、谷田先生共に絶賛されていた、氏のお内仏の説明は、信心の表白そのものである。時には泣きながら、声を張り上げて、仏具荘厳の心を語る。了善寺に出講いただいたこともある。
打敷(うちしき:卓に掛ける刺繡入りの飾り布)の起源は諸説あるが、博徳氏は「床の上にまで打敷が垂れ下がっておるやろ。あれはガンジス川の砂の数ほどの数え切れない仏さんがワシに向かって「どうか念仏申してくれ」と頭を下げ両手を突いておる姿やぞ。仏さんの方から「どうか参ってくれ」と言われとるんやぞ」と涙ながらに語られる。
それでも私は、仏さんの前に座ろうとしない。南無阿弥陀仏