嫌ならやるな やるなら断乎としてやれ(暁烏敏)
2021.04.01
岩瀬師が聞きとった、簡明直截な暁烏敏師の仰せである。真実言は回りくどくない。極めてシンプルである。
決して行動を無理強いする趣旨ではない。自らを欺(あざむ)かず、態度決定を、との促しである。
比叡山を出るか、とどまるか。常陸に移住するか、越後で暮らすか。
マンションを買うか、賃貸に住み続けるか。
転職するか、それとも今の職場でキャリアを積むか。
結婚生活を続けるか、離婚するか。
チャーハンにするか、ラーメンにするか。
生活は、いつでも決断を迫られる。決めないという選択もあるが、それも決めないという決断である。
如来とは「ご催促」であり、信心とは瞬時の「態度決定」である。
池田勇諦先生がご揮毫くださった書は「宜自決断」(ぎじけつだん・宜しく自ら決断して・大経下巻 聖典65頁)であった。
確かに「親鸞におきては」とは「態度決定」であり、「地獄に堕ちても悔いなし」との「決断」であった。
寺内の掲示板には「現前の一念 命がけにてやるのみ」との島﨑暁民師の仰せを掲げた。二つの掲示板は、呼応している。南無阿弥陀仏
出典:『無二』岩瀬暁燈師