「教えない人から教えられた」(坂東性純師)
2025.09.01
坂東性純師(ばんどうしょうじゅん師・1932.3.13~2004.1.18・東上野報恩寺前住職・東京大学インド哲学学科卒・オックスフォード大学留学後、大谷大学教授等)の著書の中に、釈尊出家の動機、「四門出遊(しもんしゅつゆう)」が語られています。
釈迦族の王子、ゴータマ・シッダールタがある日、「東の門から宮殿をお出ましになると、よぼよぼの老人を見た。その老人と今のご自分の若く瑞々しい姿を比べられ、だれでもやがてはあんな姿になるのだろうかと深い憂愁に閉ざされて帰って来られた」、またある日に「南の門からお出ましになると、やせ衰えて骨と皮ばかりの病人の姿を見られ」、さらに「今度は西の門からお出ましになった時に、葬式の列を見られた」のでした。
そして「北の門からある日出られたときに、非常に相好の清らかで、晴れ晴れとして、すがすがしい一人の出家の姿をご覧に」なられます。そして私もあのように真実を求める者になりたい、とゴータマは城を出られたのです。
坂東先生は「仏教の開祖たる釈尊に出家を促したものは、実は何もしない出家であった」「その出家は、人を教えようなどとは毛頭考えずに、ただ自分の業(ごう)に従って、菩提心(ぼだいしん)を発して頭を剃り、そして、ある日ただ道を歩いていただけかもしれません」と言われます。
「ただ道を歩いていた」姿がゴータマ・シッダールタを突き動かす力を放っていたのでした。ゴータマをブッダ(真理に目覚めた人)に成らしめた起点の一つは、この求道者(出家)だったのです。
「教えない人から教えられた」。還相の菩薩とは、そういう存在ではないでしょうか。 念仏は念仏申す人を場として、伝わってきたのです。
裏返せば、教えようとする人からは教えられることはなく、『浄土論註』が説くところの「作心(さしん)」、人間の計らいが邪魔をするのです。
ですから、教えたがりの私が敬遠されるのも道理ですね。暑いのに冷汗が・・。南無阿弥陀仏
※『智慧の念仏』(28頁・教育新潮社・1981年)