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「汝自ら当(まさ)に知るべし」(世自在王仏・『仏説無量寿経』)

2024.08.01

暁烏敏師の一枚看板、と言っていいほどに最も大事にされた一言。多数の書も遺されていて、拙寺の本堂にも掛かっている。真宗教義学では素通りされる一言を「真実の教 大無量寿経」の眼目としたのは師一人。清澤満之師の「自己とは何ぞや」、そしてデルフォイの神殿に刻まれた「汝自身を知れ」を大経に見出したのであろう。

「願わくは、仏、我がために広く経法を宣(の)べたまえ」と浄土荘厳の道を問い尋ねる弟子・法蔵比丘(びく)に対して、 師匠仏・世自在王仏は「汝自ら当に知るべし」と応答する。「私に聴くべきことではない、あなた自身が知らにゃならぬことだ」(『暁烏敏全集』1巻309頁)、「自己を知りなさい、自分の内に見なさい。外でなく内にお聴きなさい」(同311頁)と。

仏法聴聞といえば「浄土とは何か」「如来とは何か」、あるいは「信心とは・・」という具合に対象的に学ぶことだと信じて疑わない。そこに学んでいる主体が問いかえされる。対象化して外を模索しているのではなく内に尋ねよ、と「汝自当知(にょじとうち)」の雷鳴が轟くのである。

聞こえる時は、いつでも「汝(なんじ=あなた)」である。自我を我として生きている私が、初めて「汝」として喚(よ)び覚(さ)まされるのだ。心境の変化ではなく、主体の転換であり、立脚地の転換であり、「汝」の誕生である。

8月27日は暁烏敏師の71回目のご命日である。南無阿弥陀仏

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