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「生きているうちだ 生まれかわるのは それを往生という」(池田勇諦)

2022.10.01

法話聞書を掲示板に掲げました。

浄土真宗は「往生浄土」を説きます。「穢土(此岸)」から「浄土(彼岸)」への移動をイメージしますし、確かにそう読めます。
池田先生は常々「場所の移動でなく、主体の転換」と教えてくださいます。
浄土へ行くのではなく、浄土が来る。到来する時、瞬時に主体の転換がおこる。その一念の反復が往生生活であり、それがそのまま「成仏の道路」です。

「汝」と喚ばれる時、即座に死して生まれます。死ぬのは自力の心です。「俺が」「私が」と自我を立場として生きている私が、初めて「汝」と呼ばれる、空前絶後の大事件です。「汝」と聞こえる時の到来です。
親鸞聖人は「汝の言は行者なり」(『愚禿鈔』・聖典455頁)と仰せでした。まず仏道を歩む行者がいて、「汝」とよばれるのではありません。「汝」とのよび声がそのまま行者、「必定の菩薩」の誕生を意味するのです。

おもえば、六角堂参籠にて聞きとった聖徳太子の夢告、「女犯偈(にょぼんげ)」の冒頭は「行者宿報設女犯」(聖典725頁)、「行者よ」とのよびかけでした。南無阿弥陀仏

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