(わたしの辞書には「故郷」の二字がない。)居るところに居る (島﨑暁民『わたしのアンソロジー 落在』)
2020.06.01
清澤満之先生のご祥月である6月。 路面の掲示板にはこの言葉を、境内の掲示板には「現在を離れて将来はない」(「一念」『清澤満之全集』岩波版6巻26頁)を掲げた。「居るところに居る」には真実の空間軸としての「ここ」、「現在を・・」には真実の時間軸としての「いま」を聞く。光明無量、寿命無量である。
アンソロジーは「作品集」とか「異なる作家の作品を集めたもの」とか「オムニバス」という意味があるらしい。京大仏文卒の島崎師の「わたしのアンソロジー」には、「世界の詩から」として「遊牧の民の古語より」とフランソワ・ヴィヨンの詩の二篇が、他はご自身の詩が収められている。ご自身の詩集『塵がけむっている』『浅野川のほとりで』『こつじき』『石ころ』から精選された詩の最後に、上掲の言葉が光っている。
往生浄土とは、いかなることか。
「親鸞聖人はこう言われた」、「教行信証にはこう書いてある」・・とはよく聞くが、親鸞聖人が言わんとされたことを聞き取った方はそう多くない。この一言を島崎先生の信心の表白、「暁民におきてはかくの如し」として頂戴する。
悩み深き、若き日の谷田暁峯師に向かって、西村見暁師が放った一言。
「友景(ともかげ・暁峯師の俗名)さん。居るべきところに居らんから苦しいんやぞ」。
南無阿弥陀仏