そのひとの言葉信じてさはやかに(林暁宇)
2025.08.01
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翌29日9時20分御収骨 30日通夜 31日本葬 (撮影 横山定男氏)
先導:手前・蒲池暁青師 奥・西村見暁師
画像中央:白服姿の婦人 暁烏総坊守
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2007年3月25日広大舎「蓮如上人奉讃会」にて 今生最後のご説法
昭和29(1954)年8月27日が暁烏敏師のご命日である。
自坊明達寺(みょうたつじ・石川県白山市)は、数多くの青年男女が暮らす道場であった。苦悩の只中にいる人、仏法をわが身にあきらかにしたい人、生きることにいきづまった人、家庭内に居場所がなく入門した人、死の問題―後生の一大事に突きあたった人、暁烏師に魅かれて門を叩いた人。
北海道浦幌の農家に生まれた林暁宇先生は17才で結核に罹患、死に直面し、暁烏師から「坊主は乞食だぞ」「ほんとうにしたいことがあったらそれをやれ それで死んでも悔いなかろう」との仰せを賜る。結核は自然治癒し、北海道庁に勤務していたが、26才の時に明達寺の門をくぐり、僧侶として生きることとなる。
そして、仰せひとつがまことであることを生涯かけて実証実験せしめられた。そして最晩年に、林先生が詠んだ句が「そのひとの言葉信じてさはやかに」であった。波乱万丈の一生が一言に統一される時、「さはやかに」を恵むのが清浄真実であろう。一期一語、迷いの最後生を翻す一語、「よきひとのおおせ」との出遇いである。生涯を通して、その一語が主となってくださるのである。
善導大師は「実語」と、親鸞聖人は「真言」「如来如実言」と、存覚上人は「真宗誠言」「仏語誠実」と、覚如上人は「仏語に虚妄なし」と。衆生を真に実らせる一語とは南無阿弥陀仏であり、また南無阿弥陀仏の世界に導く一語である。
暁烏先生は「念仏忘れまいぞ」とのご遺言を秘書野本永久女史に託された。「他力の救済をわするるとき」、忘れっぱなしであることを私に知らせてくださる金言と仰ぐ。言葉こそ法身、言葉は死なない。南無阿弥陀仏

林先生揮毫の暁烏先生のご遺言「念仏忘れまいぞ」