世に無信仰者は居ない 自分教の信者だから(池田勇諦)
2026.03.01

師が満中陰の返礼として自ら作成された
昨年6月29日にご西帰された池田勇諦師がご自身の葬儀後の返礼品として、ご自身が選び、揮毫されていた「聞法日めくりⅡ」カレンダー「26日」の法語である。
「宗教」とは、本来は「宗の教」、「宗=根本基盤」を「教説=言葉」であらわす「仏教」のみを指す言葉だったが、「religion」(神と人間との結合=一神教・キリスト教)を「宗教」と訳したことから、「仏教=宗教」という本来の意味は失った、と指摘されている。現在では「宗教」といえば、キリスト教、神道、イスラム教、仏教、新興宗教・・、一切を含む言葉となっている。
一方で、世界的に「宗教離れ」が進行中という見解もあり、事実としてクリスチャンの減少は続いている。国内でも文化庁の『宗教年鑑』によれば、各教団の信者数(教団の自己申告値)は、例えば過去30年との比較では半減あるいはそれ以上である。(大谷派を含む伝統教団はもともと実数を把握できてないので、旧来の数値を並べているだけ)
しかし「世に無信仰者は居ない」と師は言い切る。
何故か。
「自分教の信者だから」と。
師は「何が人間を目覚ますものか、何が人間をいよいよ眠らせるものか」という金言も遺してくださった。真の宗教とは、自我を絶対化する私への相対化としてはたらくのだ。
「第三次世界大戦」という物騒な言葉も飛び交う世界の情勢は、自国中心主義=国家エゴを本尊として突っ走る狂信が招いたのである。
「自分教」の盲信ほど恐ろしいものはないぞーと照らす光を南無阿弥陀仏という。南無阿弥陀仏

生死を超えて生き続ける還相の志願である















