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世のいのり(親鸞聖人)※1/8~

2024.01.08

「念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころいれて、もうしあわせたまうべし」(親鸞聖人御消息=御手紙・『聖典』568頁)


親鸞聖人には『教行信証』、500首ほどの『和讃』など、多くの著作があります。また聖人ご自身が生活の只中で、念仏の朋友にどのようなことを語っていたのかを伝える40通余りの御手紙(御消息=自筆11通を含む)があります。
上掲の一節を含む御消息は、信頼する門弟のひとり、性信坊(しょうしんぼう)に宛てたもので、鎌倉での念仏訴訟に対処したことへのねぎらい、そして念仏者の社会観、生活態度が綴られています。念仏は私的救済手段に留まるものでなく、自己と社会を貫く眼、真の公共性を与えてくださるということでしょう。

「世のいのり」と聞くと、「真宗に祈願はないぞ!」と思いがちです。確かに願望を達成するための手段としての祈りは斬るのが本願の教えです。
ですが、聖人29歳時の六角堂参籠は祈りであり、生涯の折々に拝命された聖徳太子の夢告は、如来の祈りを全身に受ける経験でした。そして願生浄土とは、如来の祈りが凡夫に成就した一念でしょう。
もはや手段としての祈りでなく、祈る他にない祈りであって、曽我量深師の「真宗とは何ぞや、真実の祈りということであります。偽りの祈りに対して真実の祈りを宗とするのであります」(『曽我量深選集』第10巻「真宗の祈願」)を思いあわせることです。

2024年が始動しました。厳しいニュースが次々と駆けめぐる年明け、「世のいのりにこころいれて」との聖人の一言が深く静かに響きます。南無阿弥陀仏


●余談ながら、クリスチャンである石破茂議員は、昨年末に「2023年の一字」として「祈(いのり)」を選んでいました。私は同議員の支援者ではありませんが、公式ホームページの次の一節から、暁烏先生の「政治は経済ではない。教育だ」との視座が浮かびます。


「日本はあらゆる面において独立性と持続可能性を取り戻していかねばなりません。人々の間に広がりつつある、政治と将来に対する諦めを払拭するには、国民に正面から向き合う真摯な姿勢を取り戻すことが絶対に必要です。常に国民に対する敬虔な畏れの気持ちを持ち、どこで誰が何に悲しんでいるかを知り、共に涙する政治でありたいと願っています。政治の使命は勇気と真心をもって真実を語ることに尽きる、と私は信じます。いつの時代も、国を変え、歴史を創るのは、都の権力者ではなく地方の庶民大衆です。その思いで、引き続き取り組ませて頂きたいと、切に願います」

例えば「政治」を「教団」「寺院」「企業」に、「国民」を「門信徒」「一切衆生」「ステークホルダー(社員・株主・地域社会など利害関係人)」に置きかえてみると、現実への応答と使命として読めてきます。


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