人間は悪に迷うよりも善に迷う(池田勇諦)※1/8~31
2026.01.08

本山出版部から刊行されている名著『法事をつとめる』の一節です。慰霊鎮魂・先祖供養という「善いこと」だから、それで事足れりとしている深い迷妄を喝破する一言です。「善いこと」だから、迷いは見えないのです。
「外道の相善は菩薩の法を乱る」、あるいは「顛倒の善果よく梵行を壊す」(『論註』・行巻引文・㊀167頁/㊁181頁)とは、幸福追求の善事が真実教を破壊する・・という本末顛倒を見抜いた仏の知見でしょう。善いことだから、また善いことと位置付ける決めつけこそ、危ういのです。
トランプ大統領は、ベネズエラ大統領夫妻の拉致作戦実行を「善いことをした。みんな喜んでいる」と声高に言います。悪政からの解放、犯罪の嫌疑など、「善いこと」と言える一面はあるのでしょう。
しかし国連の常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国らが世界秩序を破壊する世界情勢は極めて異常であり、行動基準が激変する恐れがあります。
過去においても、徹底抗戦を続ける日本に対して、戦争終結のために、平和のために、多数の非戦闘員を無差別に殺傷した原爆投下も「善いこと」なのでしょうか。
第十二願成就文には 「この光〈=仏智〉に遇う者」は「歓喜踊躍し、善心生ず」時が発起する―と説かれています。(『聖典㊀300頁㊁346頁)「善心」とは、真実を求め問いたずねつづける求道心を指します。
善悪無視でなく、また善悪への拘泥でもなく、「まことの善とは―」「真実か虚偽か」という問いの前に立つ力を賜り続けていく。
阿弥陀の本願は、善悪共に「善心生ず」縁に転ぜしめようとはたらき続けている真実なのでしょう。南無阿弥陀仏















