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今今今 今を大事に今を生く 生かしめたもうみ名をとなえつ(児玉里江)

2025.12.01

林暁宇先生は、実に多くの名もなき念仏者を法話や書籍で世に出されたご一生でした。本願というも、念仏というも、「苦悩の有情」を離れて用(はた)らく場所はありません。「有情の苦悩」でなく、「苦悩の有情」を捨てないのです。前者は苦悩解消の対症療法、後者は苦悩を生み出す存在そのものの根本解決です。
生きた浄土真宗は、人を生み、育て、花を咲かせ、実を結ぶのです。衆生を救うのは如来ですが、同時に如来を失業させない仕事を担っているのは衆生なのです。

林暁宇先生は児玉里江(こだまさとえ)さんの手記『盲目の夫に手を引かれて―わが念仏の旅路』を1985(昭和60)年に刊行していますが、1996(平成8)年に再刊した際、児玉さんから林先生に送られて来た返信に添えられていた歌がこの一首です。念仏申す生活が衆生に何を恵むのかが明瞭に詠われた、簡潔にして深い響きです。

1965(昭和40)年生まれの私が高校生の頃でしょうか、小柄で丸く、柔軟心そのままの児玉さんが前住時代の拙寺に聴聞に来られていたことを覚えています。児玉さんは1910(明治43)年生まれですから、当時は70代でしょう。とにかく柔らかい印象のお姿が刻まれています。座談が終った頃か、あるいは懇親会の最中か、参詣者に指圧を施していたのですが、児玉さんの周りだけは明るく輝いていたのです。

一時期、鶴見の潮田に暮らしておられたことから、同じ鶴見の智広寺(橋本正博前住職)に十年ほど聴聞に通っておられたそうです。埼玉の浦和に転居されてからもお参りされ、京浜東北線で28駅、約80分ですから、橋本前住職は「ウチに来るまで、時間がかかって大変でしょう」と声をかけたのだそうです。
すると、「いえいえ、お念仏申していればあっという間ですよ」と。到着までの所要時間がそのまま聞法の時だったのです。この転換力こそが本願力と仰ぎます。
「お磨きでも、児玉さんが磨いた御仏具だけは、ホントに輝きが違うんだよね」とも橋本前住職は言われていました。浄土を荘厳する人が仏具荘厳を磨けば光輝くのは、当然でありましょう。

仏法臭いのでなく、「香気あるがごとく」- 南無阿弥陀仏

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