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春愁やふと死にたくも生きたくも(林綾子)

2023.03.18

今日から春彼岸。林暁宇先生の奥さま、綾子様の句集『摘草』の一句を掲げました。

昭和4年山口県に生まれ、結核を患い、療養生活を過ごされますが、「全身麻酔のかけられぬ体で、六回に及ぶ手術を受け、左肋骨九本を断ちました。癒ゆる望みも失った中で出会ったのが俳句だったのです。医療費のこともあって療養半ばで生家に帰りましたが、そこには、夫に先立たれた次姉が三人の幼い子どもを連れて戻ってきており、綾子は一人裏山の蜜柑小屋に寝起きし、夜は妹が泊まりに来てくれました。せめてもの栄養源にと、乳を得るために父が求めてくれた山羊が無心に草を食む姿を見て、「お母ちゃん、わたし、山羊にうまれてきたらよかった―」といって、母を悲しませたのもこの頃でした」(同書「覚え書 作者に代わって 林暁宇」)。

そして近くに暮らす病弱の念仏者、赤禰貞子(あかねていこ)さんの導きで、伴われて明達寺(石川県白山市)を訪ね、寺に暮らすこととなります。暁烏先生のご自坊である明達寺では、複雑な境遇を生きる者、家出をくり返す者、暁烏先生の下で仏道を歩みたい者、精神的に行き詰まり身のおきどころがない者など、多くの子女を寺に住まわせていました。門下の諸師の大半が寺院出身者ではないのは、そういう背景があってのことです。釈尊の僧伽、そして師清澤満之先生の浩々洞の伝統が先生を突き動かしていたのでしょう。

この句からは、お念仏が聞こえてきます。と同時に、一切衆生の深淵を射抜く力を感じます。陰鬱さよりも、惑いを惑いと照らす光明海中の景色と仰がれます。これほどの愁いを句として詠めたということは、悩む時には悩んでいける道筋が見えたからでもありましょうか。超えずに超えている響きです。

「わしと一緒に乞食をしてくれないか」との暁宇師のプロポーズを受けた綾子様は、小柄で、時折はにかむような笑顔を見せてくださる方でした。「綾子さんの、あの笑い声には仏教三千年の歴史が詰まっている」とあるご婦人は評していました。晩年は施設に入所され、そして暁宇師ご西帰後は、山口県の親類のお世話で故郷の施設に移られ、この世の仕事の一切を果たされました。

4月22日(土)には、拙寺にて「暁宇忌」(林暁宇師17回忌・谷田暁峯師13回忌記念法座)を勤めます。
詳しいお知らせは近日掲載しますが、本堂への参詣+Zoom配信で計画中です。この句は、そのお待ち受けでもあります。南無阿弥陀仏

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