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生まれ続けることを往生という(和田稠)

2023.07.01

『和田稠講話集』第5巻139頁より

往生とは浄土に誕生すること、それは人間存在の新生である。一度生まれて終わるのではなく、往生を得ればこそ、願生が発起するのだ。自力疑心に閉鎖する私が開かれる一念の到来であり、決して終わらないのだ。

『真宗宗歌』に「ひたすら道をききひらき」とあるが、聞くとは開かれることであり、 閉じるとは、聞く耳を持たないことである。
「換気したいから、窓を開けて!」という時、窓は必ず閉まっている。閉まっていなければ、開けない。『真宗相伝叢書』に「開は他力をあらわす」とあるが、頑なに閉じていればこそ開かれる時が到来するのだ。南無阿弥陀仏

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