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闇に迷いてため息の中から「これからだ」と叫ぶ(暁烏敏)

2021.08.01

 曽我(量深)君が昨年の夏「歎異抄」第一節を講じて、『「念仏申さんとおもいたつ心のおこる時」とあるは、これからだということである』と申しました。大阪の増田君は、この「これからだ」ということが昨年の最も大なる獲物であったように年賀状に書いてよこされた。

 「これからだ」「これからだ」。これが一念発起平生業成の生活ではないか。「これからだ」。救いはここに降るのである。摂取の一面の意義は、「これからだ」という勇気であります。

 血にまみれた手負いの中から「これからだ」と叫ぶのであります。闇に迷いて溜息の中から「これからだ」と叫ぶのであります。前後から迫ってくる恐ろしい業火にむかいつつ「これからだ」と叫ぶのであります。私共は流転の悲苦に沈みつつ帰命の一念は常に「これからだ」と叫ぶのであります。臨終の刹那までも、「これからだ」と叫ぶのであります。

 帰命無量寿如来とは、私をして永遠に「これからだ」と叫ばしむる生命の源泉であります。否生命そのものであります。

暁烏敏『更生の前後』 『全集』12巻82㌻




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「真実は常に新鮮である」 (高光一也『これでよかった-私の歎異抄ノートより』)

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