「布教上の設計」
2024.07.01
明治29(1895)年、井上豊忠、清川円誠、月見覚了、清澤満之らが大谷派の改革運動の一環として、『教界時言』を創刊した。その第3号(同年12月15日付)に「布教上の設計」という提言がある。
「我大谷派に於ては、布教に関する制度組織は、毫(ごう※わずか)も之あることなしというも敢(あえ)て過言に非(あら)ざるなり」、129年前の宗派においても教学教化の制度組織は「あることなし」と指摘している。宗門護持の名の下に金集めだけを優先する実状は、現在も変わらない。
ある研究者が「物欲の為に迷はさるること多し」(『他力の救済』)とは、清澤師当人に限らず、「宗門全体」をも指しているのではないか、と指摘しているが、的外れではなかろう。
「布教」(教学と教化)の無策をあらわす一例が挙げられている。
「三日間の追弔会(ついちょうえ)に一万二千円を抛(なげう)ちて顧みずして一ヶ年半の普通布教費として支出する所は僅(わずか)に六千余円に過ぎず」(岩波版『清澤満之全集』第7巻30頁)とある。
昨春に勤まった大法要の為に、35億円もの浄財を集めたが、何ひとつ生まれなかった。一方で教区改編によって、通常の教化予算は減額させられている。白川党当時と変わらない大谷派の現状は、心底悲しい。
因みに法要テーマも60年前の焼き直しだった。六字名号まで「テーマ」とし、あろうことか「蓮」を名号の「上に」配したテーマデザインには呆れた。「お内仏の「上に」遺影をかけてはダメですよ」と説いているはずだが、いったいどうなっているのだろう。
『教界時言』では「(イ)布教方針の確立(ロ)布教制度組織の整備」 の2点を「今日の緊急要件」として提言している。「緊急要件」を129年置き去りにしてきた組織風土は、誠に恐ろしい。
末期の日本軍同様に、宗派組織は、私にとっての最上の反面教師である。南無阿弥陀仏