「畳説法」 岡本暁精師
2024.05.26
奈良県橿原市に「大和仏教センター」という道場がある。暁烏敏先生(あけがらすはや・1878-1954)のご門下、学校教師だった岡本暁精(精一)・暁禮(禮子)ご夫妻が自宅とは別に聞法道場建立を発願、現在はご息女山西睦子様が退職金をもとに道場を建て替えられて主宰されている。道場の相続、誠に稀有なことである。
奈良県は伝統仏教の本場。浄土真宗の風土は色濃くない土地柄だが、暁精師は親鸞聖人が生涯仰がれた聖徳太子を追い求め続けられた。奈良新聞社から数冊の著書が刊行され、現在も太子ゆかりの寺々にて頒布されている。
センターには、かつては久保瀬暁明先生、西元宗助先生、児玉暁洋先生、谷田暁峯先生らが説法獅子吼されていた。現在は長年ご縁を結ばれている加来雄之先生、またマイケル・コンウェイ先生、名和達宣先生、東真行先生らが登壇される。寺ではないから、お預りの門徒はいない。それでも法座を開き続け、毎月「通信誌」を発行し全国に向けて送り続けておられる。
以下は岡本暁精氏の玉稿である。「畳説法」は、法隆寺管長佐伯定胤猊下から聞かれた暁烏先生が深く感銘を受けられた。暁精師はきっと暁烏先生から聞かれたのだろう。生きた仏道の歴史である。
参詣者減少が叫ばれる中、北極星のごとくに帰るべき原点を示してくださっている。南無阿弥陀仏
畳説法 岡本暁精
暁烏先生の遺訓
こう言ったら、こんな非難がでるだろう。
そうすればこう言う。
そうすると、また、こんな非難が出るだろうと。人の思惑ばかり考えてしゃべっておる人がある。そういう人のことを私は「中腰」の人だという。
本ばかり見ておる理屈屋には、こんなことがままある。一歩ずつ大地を踏んでゆく人でなくては、本当の道理は分からぬのである。 (『暁烏敏全集』より)
法隆寺では、千数百年前から安居が毎年続けられている。時には、聴衆の一人もなく、講師は「畳の目」を相手に説法を続けた年もあったと聞く。私も今年の元日、当センターのおつとめと初法話において、この「畳説法」を体験した。
年頭に当たり神社に初詣りする人は多いが、お寺へ詣る人はほとんどないのがこの辺の習慣。今年から当センターへの初詣りを呼びかけ、各所にビラを貼った。「心」第一号にもその趣旨を述べ、百軒ぐらいの家々の郵便受けに投函した。一人位は来て下さるだろうという期待を持って待った。時間になっても誰も来ない。張りつめた新年の気持ちがくじけた。妻と二人でやろうと気をとり直し、おつとめをし、新年の抱負を妻と畳根手に語った。
爽快な気持ちにだんだんなってきた。前項に掲げた暁烏先生の遺訓は、今の私へのおいましめなのだと気づく。
人の非難や、評判、思惑を気にするというのは、「説教者根性」があるからだ。その天狗(てんぐ)になろうとする鼻が元旦そうそうへし折られたのである。「中腰」の人とは、まさしくこの私だったのだ。新年の集いを開けば誰かが詣るという思いも傲慢(ごうまん)。詣らぬと腹を立てたり、己が無力を悲観するのも卑下慢(ひげまん)。
畳も壁も天井も、そして妻一人が聞いているではないか。
お前の正体をさらけ出せ。自分の言葉を通して流れる法を聞くのである。ただ聞法あるのみ。真実の声を聞け。
これが大地を踏みしめて歩む人の姿であると暁烏先生は私に教え給う。
(昭和47年2月1日発行『心』第二号 大和仏教センター便りより)