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コラム・法語
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「広島平和悲願の鐘」

2022.08.08

「広島平和悲願の鐘」(広島平和記念公園・屋外常設)

暁烏敏師の高弟、西村見暁師(1915[大正4]―2003[平成15]・暁烏敏/西村見暁共編『清澤満之全集』(法蔵館)編者)は、暁烏師が昭和29年8月27日にご西帰された後、金沢大学助教授の職を辞し、自らの思想を実験すべく真理の探究を続けられる。至純なるが故に突き進んでいかれ、結果的には一宗一派の枠を超え、暁烏一門の中でも孤高の存在になっていった一面があるようである。

「広島平和悲願の鐘」は、西村先生の発願と尽力による。(昭和39年9月20日撞初め・平和公園内に屋外常設・毎年8月15日に鳴らされる鐘ではない)
名利に堕することを恐れたのか、ご自身の名を残そうとされなかったようだが、氏制作のリーフレットに書かれているように、鐘にはギリシアデルフォイの神殿の「自己を知れ」(汝自身を知れ=『臘扇記』にも引用され、暁烏師は『仏説無量寿経』中の「汝自當知」と重ねて味わっている)、そして第一願文と国境のない世界地図が刻まれている。つまり大無量寿経が説く阿弥陀の本願が鳴り響く鐘であり、その作者は、明達寺の鐘を制作した香取正彦氏(人間国宝)であった。

「この鐘は、平和祈願に燃えた一人の篤信家の熱意で生れたといってよい。金沢大学の助教授であった西村見暁という人がある日突然私の家へ訪ねて来られ「広島に平和祈願の鐘をつくってほしい」といわれた。・・それにしても、この鐘にかけられた西村見暁さんの情熱は立派なものであった。西村さんは、東京オリンピックの年を単なるスポーツだけのものにしたくないと、平和悲願の梵鐘づくりを発願された。大学をやめ広島の原爆落下地点に近い所に居を移し、退職金などの私財を投じて鐘づくりに奔走されたのである。私もその心意気にうたれ、実費での制作をひきうけるという、いろいろな意味で異色の鐘となった」。(香取正彦『鋳師(いもじ)の春秋』122-124頁・日本経済新聞社)

「汝自身を知れ」広島平和記念公園・平和の鐘の銘文に込められたギリシャからのメッセージ – ギリシャ-日本 (greecejapan.com)

台湾をめぐる米中の駆け引きは、露骨な軍事ショーともなり、ウクライナ情勢は依然として膠着状態にある。ウクライナが核を保有していれば、ロシア侵攻の抑止力になった・・との見方も成り立つ現実は、実に厳しい。それだけに今夏の鐘は、ひときわ高く鳴り響いた。

如来の微妙(みみょう)の声、梵の響十方に聞こゆ。
如来微妙聲 梵響聞十方。(『聖典』137頁)南無阿弥陀仏

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