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コラム・法語
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聖徳太子『十七条憲法』-その2

2021.03.23

聖徳太子建立七大寺の一つ 「橘寺(たちばなでら)」(奈良県明日香) 聖徳太子の愛馬「黒駒」像 「大日本粟散王聖徳太子奉讃」和讃(114首)では「甲斐のくによりたてまつる あしよつしろき黒駒に 駕してくもにぞいりたまふ 東のかたへぞいましける」と詠われている

太子1400回御忌の本年。親鸞聖人が「観世音菩薩」「和国の教主」と奉讃された聖徳太子は、皇族であり、国家指導層であった。200首もの和讃、85歳時に編纂された『上宮太子御記』、また『尊号真像銘文』には太子の生涯を伝える数々の逸話や伝承が書かれている。手放しで「慶喜奉讃」される 御開山の姿勢は、実に爽やかでまぶしい。「奉讃不退ならしめよ」 と詠われているとおりである。だから実証主義的歴史観や戦前戦中の太子像への評価に立つと、浄土真宗の聖徳太子は見えなくなる。 親鸞聖人にとっての聖徳太子は「仏」であったのだ。

「皇太子聖徳奉讃」(75首)和讃には、日本最古の憲法『十七条憲法』に関連して5首が詠われている。国家の「棟梁」=骨格=清澤先生のお言葉を拝借すれば「日本国骸骨」は、「篤敬三宝」=真理に対する帰依でなければならない―との視座が窺える。
それは度々の法難(念仏弾圧)への公憤と「朝家の御ため、国民のため」(大谷派聖典569頁)と現実の国家に寄せる悲願-親鸞聖人の「世のいのり」でもあろう。「念仏する人を憎み謗る人をも、憎み謗ることあるべからず。あわれみをなし、悲しむ心をもつべし」(大谷派聖典595頁)とは、親鸞聖人の耳の底に留まる「法然聖人の仰せ」であった。何と深い世界であろうか。イデオロギーではなく、国家改造でもなく、政治はそのまま仏道であった。

島﨑暁民先生(昭和5年生まれ・石川県白山市福留 称佛寺住職)がお便りで知らせて下さったある法律家の一文を以下に記す。右であれ、左であれ、イデオロギーで裁いては、真価が見えなくなるようである。南無阿弥陀仏

「日本国憲法の優れた点の一つに、近代立憲主義の正統な流れを引き継いでいることが挙げられます。立憲主義は「人間が間違いを犯す生き物である」という真理に対する謙虚さの現れ、いわば「人類の英知」の結晶だと言えます。この「人類の英知」は、決して西洋の借り物ではなく、日本の伝統に根ざすものと私は考えます。英語の「constitution」に対応する日本語は「憲法」です。これは聖徳太子の『17条の憲法』からとったものです。

そこから保守派の人たちは、改憲案の論拠としてしばしば17条の憲法を持ち出し、それに対して護憲派は「復古的な主張だ」などと批判します。
しかし17条の憲法は、仏教の根本である平和の考えを取り入れ、力ではなく話し合いで物事を解決することを徹底していると思うのです。あの時代に人間の知性・理性を重んじ、議論することで物事を解決することを示している先進性には驚かされます。かつ、役人に賄賂をもらうなと命じて権力を制限しています。イギリスで生まれる遥か以前に、日本は為政者が守るべきルールを作っていたのです」

伊藤真『現代語訳日本国憲法』(ちくま新書)295頁

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