• 教えに遇う
  • 了善寺について
  • お墓・葬儀・法事
  • 暁宇会
コラム・法語
コラム・法語

コラム・法語

「いくら聞いても悩みは出るぞ」

2024.07.16

「ただ、仏法は聴聞にきわまることなり」(『蓮如上人御一代記聞書』193条・第1版聖典889頁・②1063頁)といいますが、実に「ききがたし」なのでした。
出遇った内実を「かたし」といい、「 叵 」(かたし)は「不可能」を意味します。暁烏先生の『和讃講話集』(下巻175頁)を読んでいて、要を教えてくださる問答に驚かされました。

「貴方(暁烏先生)の話を聞いている時には心がハッキリしますが、また後から悩みが出てくるのです」と言われた。
私はその人に言うた。「そう言うなら、貴方はまだ私の話を聞いたのではない。私はあなたに「もう悩みは出んぞ」と言うたのではない。「いつでも出るぞ」と言うておるのだ。それを「出ない」と聞いておるのだ。「いくら聞いても聞いても出るぞ」と言うておるのだ」

真実はいつでも新鮮で痛快。昔のお同行は言葉の真意を正しく聞き取れると、「聴聞の邪魔立てがとれた」と言われたそうです。つまり、自分のモノサシが自分を邪魔して正しく聞かせないのです。自分が自分の「邪魔」をしていた!と。
アテと褌(ふんどし)は外れるものよ。アテが外れて、南無阿弥陀仏。




一覧へ戻る

真宗大谷派 東本願寺

真宗大谷派(東本願寺)西恩寺

加賀福祉会

浄土真宗の法話案内

響流書房

ページの先頭へ