「こころぐらいではたすからない」
2024.09.17
浄土真宗の要を教えてくださっている和田稠(わだ しげし)先生の仰せです。もちろん、こころを取り戻す、心境の安定は大事です。カウンセリングも、精神療法も大切です。
ですがこの仰せから、対症療法と根本解決を見分ける眼こそ取り戻せ、と促されています。心境の安定にとどまるならば、それもまた思いに振り回されていること、と如来はお見通しなのでしょう。
出離した天地からの「それはそれとして思いをはなれよ!」(「衆生のこころを、そのままおきて」『蓮如上人御一代記聞書』聖典867頁・「あしきこころをかえりみず」『唯信鈔文意』同552頁)とのよび声が南無阿弥陀仏でしょう。南無阿弥陀仏
「宗教はそういうこころの問題に腐心することではありません。まあ、今日おいでになったお方は真宗のご門徒か、そうでなくとも真宗に関心の深いお方だと思いますから、あえてこういうことを言う必要がないかと思いますが、真宗はこころを工夫して、こころを殊勝にして、こころを豊かにして、しあわせになるというようなことではございませんですね。こころぐらいではたすからんというのが親鸞聖人の教えでございましょう。ありがたく思おうが思うまいが、わかったと言おうが言うまいが、それはみなわがこころをたのんでおるのではないか。そんなこころでたすかったりするか。こういうのが真宗の教えでございましょう。なにかこのごろ「こころの宗教」とか、「こころの時代」とか、こころを強調する宗教が大流行りですが、真宗は決してそういう「こころの宗教」ではないということを、私どもがはっきりしなければならんのではないかということを思います」
和田稠『このことひとつ』40㌻