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コラム・法語
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「どうにもならん」 

2021.05.18

「皆当往生」 林暁宇師 
(北海道芦別「念林舎」 石井英樹・輝子夫妻所蔵)


当サイト内にて林暁宇師のご生涯、そして「暁宇会」を紹介していますが、ご命日4月29日を期して勤めている「暁宇忌」は今年も開催叶わずでした。緊急事態宣言下、全国各地から東京に集い、語り合い中心の一泊法座を開催することは断念せざるを得ませんでした。因みに林先生のご命日は2007年4月29日(満84歳にてご西帰)でしたから、本年は満14年、15回会となります。

名簿記載の200名余りの方々に、次の林暁宇先生の仰せを掲げた中止案内ハガキを送りました。

どうにもならんというものが人間には大事なのです それだけが「我」を破っていくのです
(林暁宇師の仰せ 『ほんとうにしたいことがあったらそれをやれ ―林暁宇書簡集』15頁) 
刊行書籍 | 真宗大谷派 法性山 了善寺 (ryouzenji.or.jp)  


「どうにもならん」とは「思い通りにならない=不如意=自力無功」ですが、新型コロナウイルスのパンデミックによって混迷する現在の境遇こそ、どうにかしたいが「どうにもならん」代表です。変異種の感染拡大、医療崩壊、インドの感染爆発、ワクチン敗戦・・。コロナ下で高利益を生み出した企業もあれば、飲食店や観光業界などサービス業は過酷な状況にあり、当然ながら宗派や寺も例外ではありません。
ですから「どうにもならんというものが人間には大事なのです」と言われても・・私の根性ではとても頷けません。「大事」どころか、一日も早く撃退したい、どうにかしたいのです。

しかし、仏法の言葉は「そう思えるか」「思えないか」というモノサシの上に乗せるものでなく、そのモノサシ自体を破るハタラキ、一瞬の響きに尽きます。

中止案内ハガキを発送後、葉書や電話、メールがありました。『書簡集』の注文も舞い込みました。また「参加者に差し上げようと作りました。来年のことはわからないから送ります・・」と愛知県在住のご婦人から 『真宗聖典』カバーが 60枚ほど届きました。(有縁の方に差し上げましたが、大谷派聖典「縮刷判=小型」用のカバーが若干あります。ご希望の方は、メールでご連絡ください)

ある方からは「自分の妻が癌になった時に「癌は宝です」と言ったことが長年問いになっていたんです。ずっと抱えてきたその問いに、葉書に書かれていた林先生の言葉が響きました。これか!と。それで『書簡集』があったらわけてほしい」との電話も頂戴しました。

はっきりしない私なればこそ、今なお先生のご教化にあずかっているのでした。事務局の役得でありました。南無阿弥陀仏

04年9月26日 林暁宇師(了善寺本堂)

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