「一年二年すぎゆくにたとえたるなり」(『一念多念文意』聖典㊀545頁)
2025.12.31
今年も残り60分を切った。JRの線路のほど近く、オフィスビルとワンルームマンションが建ち並び、住民は極めて少数のこの界隈は閑散としている。
今年は、池田勇諦先生ご西帰の年となった。ご命日は6月29日、林暁宇先生と同じ「29日」だった。お連れ合い、池田牧様は暁烏敏先生と同じ「8月27日」がご命日である。
ご晩年の勇諦先生は視力が極めて低下されたので、手紙は控えていた。質問などは電話だった。先生の方から、私の携帯にかかってくることもしばしばあった。
スマホに「着信中 池田勇諦 090××××」と表示されると、いつも思わず立ち上がった。残念ながらスマホへの着信は二度とないが、「つねの仰せ」が不思議と聞こえてくる。
「聞法とは精神論でなく、存在論。精神論とは心境論」
「何を聞いてもウンでもなければスンでもない・・(笑)」
「往生とは場所の移動でなく、主体の転換」
「立ちすくむ その時々に 射す光」
「挙足一歩」
「紐から離れなければ、独楽は回らんのや」
初めてご自坊にお参りした折、同朋講座後の懇親会の場で、簡単な自己紹介と挨拶を済ませ、司会の総代氏にマイクを返そうとした瞬間に放たれた「百々海君。アンタにとって仏法とは何か?」との問いは、今も鳴り響いている。
石川県能美市鍋谷町に、林暁宇先生を初めて訪ねた2002年秋。
帰る私に向かって林先生は瞑目合掌された。小松空港に向かう車内から振り返ると、いつまでも瞑目合掌されていた。
後に私は「帰り際に合掌されるのは、いつもですか?何か意味があるのですか?」と愚問を発したのだが、お訊ねしてよかった。
合掌の意は「アンタがどうかよき人に遇えますように―」というご返答だった。この一言は、林先生ご自身が「師」に立たない、どこまでもお育てに与らねばならない被教育者の座に立たれていることを端的に教えてくださった。「暁宇は弟子一人ももたずそうろう」、師を仰ぐ生涯弟子の道である。謙遜や卑下ではない。広大無辺な境涯である。
ところで、暁烏敏先生を「大徳」と称して讃仰される池田先生においては、暁烏門下の諸師への無条件の讃仰も当然であった。その「七光り」のおかげさまで、池田先生の方から私に「親近」くださったのだろう。先手はいつでも向こうから―である。
それにつけても仏恩師恩に尽きる。想い出でなく、いつも新しく響くのは何故だろうか。忘れっぱなしの恩知らずなればこそ、身に響くのだろうか。
迎える明年も、仏恩師恩に浴しつつ、共に聞思を。南無阿弥陀仏















