「不満はありません」
2024.01.16
今朝のテレビ朝日「モーニングショー」。
能登半島地震被災地の病院にて。
鼻孔から酸素吸入している老媼に、レポーターがマイクを向けた。
「こんなときにも、こうしてみんなが集まってくださって、幸せです」。
嘆きの声を予想していたであろうレポーターも、視聴者の私も、一瞬絶句させられた。
志賀町にて。
畑のビニールハウスに自主避難されている老人グループ。衣類や日用品だろうか、段ボール箱が積みあげてあり、ハウス内の中央に灯油ストーブ3台が並んでいた。地面の上には、ブルーシート+段ボール+段ボール+ゴザ+カーペット‥という具合だった。カメラが映したデジタル時計の気温計は「14.1℃」だった。
レポーターは「ビニールハウスでの生活は、いかがですか?」とマイクを向けた。高齢の男性は「ストーブが3台あって、暮らしに必要なものはあって、便利です」と、簡潔に力強く答えた。
レポーターは次の質問に移った。「避難所に行かず、ここにおられるのは、大勢の方々が暮らす避難所では、ご不便やご不満があるからでしょうね?」。
その男性は、ゆっくりとただ一言だけおっしゃった。「不満はありません」。
「生活に困窮し呻吟する被災者」という番組制作の意図を、私の視座を、静かな一言がひっくり返してくれた。
スタジオの羽鳥アナは「避難所の生活よりも、ビニールハウスの中の方がいいということなのでしょうね。それにしても14℃は身体に堪えるでしょう、大変なことです」とまとめたが、蛇足とはこういうことを言うのだろう。
避難所と「比べて」ビニールハウスの中での自主避難の方がいいという分別に立って、比較した結果として、「不満はありません」と言えるはずがない。誰もが「地震前に戻りたい」のは当然であり、先行き不安も、おろおろも当然である。「凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり」(『口伝鈔』聖典670頁)と、如来がお見通しのとおりである。
だからお二人の言葉は回向された言葉であって、言葉の出処が違うのだ。凡夫に届いた絶対界の言葉であり、如来の大命として聞こえた「摂取不捨の真言」(「総序」)と私は仰ぐ。
「濁浪滔々(だくろうとうとう)の闇黒世裡(あんこくせり)に在りて、夙(つと)に清風掃々の光明海中に遊ぶを得る」(清澤満之師『他力の救済』)、娑婆のど真ん中で浄土を呼吸しているのである。
「現に生きて動いている、それが仏法です。それが三千年の昔よりしてずっと伝わっている、それを知らんのはインテリ学者が知らぬだけ。民衆は昔から知っている、一文不知(いちもんふち)の民衆が知っている、ただに知っているのみならず、民衆の胸より民衆の胸へ伝わってきた、それが浄土真宗」
(『曽我量深選集』「本願の内観」第10巻254頁)
真宗王国たる所以は、今も健在である。
どうかどうかご法身御大切に、と念ぜずにおれない。南無阿弥陀仏
〈ご協力をお願いします※1/5・10・11追記〉「令和6年能登半島地震」救援金 | 真宗大谷派 法性山 了善寺 (ryouzenji.or.jp)