「和とは不和なり 不和の悲しみなり」(曽我量深)
2021.08.06
法友Oさんから、上掲の法語の出典を探していると伺った。教えの言葉は、正確に厳密に確かめたいとおっしゃるが、襟を正される心地である。
Oさんは長年探しておられる中で、『藤代聰麿先生法語集』111頁に「和とは不和なり 不和の悲しみなり」の一語を見つけ、また本山女性室発行『あいあう』2006年10月号に「三条教区第21組大竹洋子さん」の寄稿文に次の一文を見つけたが、本山に問い合わせても返答無しとのことで相談をいただいた。
寄稿文に引用されている曽我先生の言葉は次の通りである。
和とは不和なり/不和の悲しみなり/大悲なり/回向なり/招喚なり
/南無なり/即ち感応道交なり
三条教区出身の札幌某寺の准坊守Kさんと三条教区の住職Sさんに「大竹洋子さんという21組のご門徒に、心当たりはありませんか?」と事情を書き添えたメールを送ったところ、ご両名共に早速に色々と調べてくださった。
出典は連絡待ちだが、S住職からは「曽我先生を自宅に招いていた方で、ご高齢だがお元気かと思う」との返答も頂戴した。となると「大竹様が曽我先生から直接お聞きになられた言葉かもしれない」と法友Oさん共々、ワクワクしている。南無阿弥陀仏
※追記 『曽我量深選集』11巻82頁に同様の一文が掲載されていると法友Oさんから連絡がありました。