「師を友として」
2020.09.20
「師を友として療養や根深汁」との林暁宇師の句を前稿に書いたが、「友」とは「善友」(ぜんぬ)である。
このことについて、私にとっては忘れられない大事な仰せがある。
『仏説観無量寿経』「下品下生」(げぼんげしょう)には、臨終の「愚人」に「善知識」があの手この手で仏を憶念せしめようとするが、苦しくてそれどころではない。そこで「善友」(ぜんぬ)が「汝もし念ずるに能わずは、無量寿仏と称すべし」と称名をすすめ、南無阿弥陀仏と称えるくだりが説かれている。(『真宗聖典』120㌻~)
谷田暁峯(たにだ ぎょうほう)先生が2011年10月22日に急逝される十日余り前の広大舎(石川県能美市・谷田師主宰)での報恩講の後、上述の一節を通して感得されたことを講師の一楽真先生(大谷大学真宗学科教授)にお聴きいただく場面に私もいた。
谷田先生は「善知識」が「善友」に変わっているのは「憶念せよとすすめてもどうもならんから、「善知識」は「愚人」と一緒に声に出してナンマンダブツと念仏申した。声に出して一緒に念仏申して下さった時、「善知識」が「善友」に変わった-とワシは思うとるんですが、何分にも教学がわからん者の言うとることですから一楽先生に聴いていただこうと思うていたんです」と味わいを語られた。
一楽先生は「今言われた「善知識」が「善友」に変わったことについては、誰も取り上げていないように思います。でも谷田さんのその受けとめは有難いですね」と応じられた。控室での一コマだが、この時の情景は今なお新鮮である。
谷田先生は「善友」に成り下がってくださらねば「善知識」の仰せにも耳を傾けない「愚人」としての自分(谷田師いわく「箸にも棒にもかからんコイツ」)に遇い、明達寺に入寺しながらも三年半後に出奔した自らに「善友」となって生涯寄り添い続けて下さった林先生を憶念してこその味わいであったに違いない。南無阿弥陀仏。