「悲願はなお乳母のごとし」(聖典202頁)
2023.01.01
昭和29(1954)年8月20日明達寺 (石川県白山市・〈当時〉暁烏敏住職) 臘扇堂落慶式 (横山定男氏撮影)
なぜ「乳母」なのか。「一切善悪の往生人を養育し守護したまうがゆえに」。「悲願」は、人を生み育てる「乳母」なのだ。一人の老媼が、知識や説明を超えて、「悲願」の実在を証明してくださっている。この老媼を南無せしめるはたらきこそ、である。
親鸞聖人は晩年に「まことの信心の人をば諸仏とひとし」といい、「ものもおぼえぬあさましきひとびと」こそ、と仰っているが、そう知らしめたのは、きっと「いなかのひとびと」である。南無阿弥陀仏。
