「挺身殉国」―戦時下の『真宗』誌に学ぶ
2025.10.17


太平洋戦争開戦前 現代では想像さえできない空気感です

過日、某寺での法座の後に「暁烏先生の戦時中の言説に疑問を感じるが、如何だろうか」との大切なご意見が提起されました。
大谷派内、また宗派外の知識人も含めて、戦時下教学として、暁烏先生、曽我先生、金子先生等を現代の感覚で裁く傾向があります。そもそも一部の僧侶・教学者に限定した批判は、問題の矮小化につながる上、歴史認識としても歪みを感じます。一部に責任をかぶせるような、御用歴史観としての怪しさがにじみ出ています。
戦時中は、現代の感覚ではとても理解できません。「挙国一致体制」であり、言論統制下にありました。
近くはコロナ下における日本社会も冷静さを失った過剰反応の連発でした。
例えば 「自粛警察」は、どうでしょうか。善良な市民の所業です。「異常」は、渦中においては決して気づけないのです。人はみな業縁存在としか言えません。
因みに太平洋戦争中の『真宗』誌に暁烏先生の寄稿は皆無です。大谷光演師〈句仏上人〉ご西帰に供えた弔歌が昭和18年3月号に掲載されているのみです。
暁烏先生は和田稠(わだしげし)師が出征される際には以下の葉書を送っておられ、和田師は額装して終生大事にされていたそうです。(現在は真宗大谷派東北教区念通寺衆徒鈴木君代氏所蔵)
また和田師のご長女の名付け親は、暁烏先生でした。(「蘇」(よみ)と命名。蘇生、再生の意。)

多くの国民が戦争にのめり込んでいった時代です。出征した僧侶や門徒も多くおられましたし、拙寺前々住職の実弟も出征、前々住職は出征兵士壮行の際の法話が抜群だったと伝え聞いています。
一方で時勢に鑑みて沈潜しつつ、本質を外さなかった人々も少なくなかったでしょうし、一人ひとりの本意がどこにあったかは、なかなか読み取れません。
尚、『真宗』誌巻末の書籍広告には、武内了温師『大政翼賛と浄土真宗』、豅教化研究院長『みくにとともに』、大河内了悟師『敬神崇仏』といった書名がみえます。ほんの一例ですが、一部の僧侶や教学者の問題ではないのです。視点を変えれば、教団護持の為に宗派を挙げて国家政策に順応したのは、生き延びるための知恵とも言えます。
私自身も戦時中の『真宗』誌(真宗大谷派教団の官報)を読むまで、知らなかったことがたくさんありました。現代の感覚では異常であり、教学も明らかにおかしいのです。それだけに学ぶべきことがたくさんあります。
そして何よりも「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」との教言の重さと確かさに合掌するのみ。歴史が語ることに耳を傾けてまいります。南無阿弥陀仏

12月8日真珠湾攻撃 連合軍に宣戦布告し、太平洋戦争に突入

開戦詔書と東条首相のラジオ放送 「大詔を拝し奉りて」 を巻頭に掲載



「先師は戦争というものを眼前の事実として捉えられたのである。それをよいことだとも悪いことだとも絶対に言われなかったのである。悲しい戦争の事実がある。痛ましい戦傷病者がいる。それを北支に慰問せられ、内地の病院に慰問せられた。そして私もこういう目の見えない不具者であるが、と言って励まされた。―ただ戦争の事実に同じて行かれたのである。先師は「無」であられた。
(中略)
戦争が終わって後戦時中のことを回想して、先師を戦争協力者として非難する者があったが、その非難する人自身が一体何者であるのか。下司(げす)の知恵は後からといって、彼らも後からああつまらぬ戦争をしたものだと思い知っただけである。彼等が先師を非難する頃、先師は既に何歩も先へ前進していかれたのである。そのことが八月十六日の朝祭壇を撤去せられた処にもよく現れている。私は更に言おう。キリストの福音書にはただの一箇所と雖(いえど)も戦争反対などと言う言葉は記されていない。キリストも亦(また)戦争を浅ましい人間的事実として認めていただけである。人が殺しあっていることをよいなどと誰も言わない。しかし殺しあわずにおれないこの人間というものをじっと見つめていたのである。
(中略)
先師は敗戦のとき「敗戦の神風が吹いた。無条件降伏の神風が吹いた」とからからと笑われたのである。人間が自分で神風を吹かそうなどと、神風特攻隊を組織したことを笑われたのである。神風は神が吹かせる。人間が吹かせるものではない。敗戦も他力なら、我が国の復興・再建設も他力である。先師はただこの他力に随順して行かれただけである。これを凡夫という。戦前戦中戦後を通じて、ただ先師は凡夫の自覚に徹していかれたばかりである」
毎田周一『先師と大東亜戦争』(『毎田周一全集』7巻395頁~)

山本五十六元帥海軍大将 同年4月戦死
ガダルカナル島・アッツ島玉砕
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写真は掲載されなくなり、ページ数も激減
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物資がいよいよ乏しくなったからか、合併号に
記事は徐々に減り、達令・人事異動・得度者など4頁ほどの「官報」に