「本に書いてあるから間違いないと思っている」(助田茂蔵)
2022.05.16
去る4月28日、東京練馬真宗会館に出講した際に( (144) お坊さんの法話2022年4月28日「「実験道」(じっけんどう)」 – YouTube )、法話にて『背中―工房独語』(相應窟・助田茂蔵)を引用し紹介したところ、「ぜひ読みたい」「1冊求めたい」と4,5人の方からお問い合わせをいただきました。教務所側にも問い合わせの電話が入り、照会がありました。残念ながら、当方の在庫も売り切れ、刊行元も現時点では再刷の予定はありません。
「たくさん刷って多く出回り、ワカラナイ人がこの本を放り出すのは避けたい」意向と聞きました。それもわかりますし、そもそもが500部限定の「非売品」でした。それにつけても問い合わせが多く寄せられたことを如来に謝するのみ、まさに「師主知識の恩徳」という他にありません。
読みながら、思わずくぎ付けになった『背中』の一節を以下に記します。
高光大船先生は「インテリとは馬鹿のややこしい奴だ」と申されました。早い話、毎日配達される新聞には約十五万字位の文字が並んでいて、今日ではまるで文字の洪水の中に生きているようなものです。つまり知らない事は本を買ってきて読めば、何でもわかるようにできている文字過剰の時代で、テレビでも近く「文字多重放送」というのが始まるといいます。いいような悪いような変なことになってきていますが、文字に頼りすぎ甘えすぎていて、何でも知っているように自惚れていることだけは確かな事実です。「一文不通の男女」といわれても自分はその中へ入ってはいないように自惚(うぬぼ)れているのです。何でも知っていると思っているのです。自惚れているだけ生活が徹底していないのです。あいまいな、ふしだらな生活に甘んじておる事に少しも気付かないのです。
そして一番奇妙なことは本に書いてあるから間違いないと思っているのです。文字に甘やかされる現代の生活が、如何にだらしないものか、とくと考え直す必要に迫られているように思います。
(『背中―工房独語』268頁〜 『無量」25 昭和61・6)
「本に書いてあるから間違いないと思っている」!。あ、俺のことだ!南無阿弥陀仏