「法然上人と一緒に称えていたんじゃないでしょうかね」
2025.01.25
昨秋の報恩講での一楽真先生(大谷大学学長)のご法話を聞き直しています。午前1席、午後2席、計3席にわたって、南無阿弥陀仏―善導大師の六字釈・親鸞聖人の名号釈について、熱く深く鋭く説きあかしてくださいました。
私が一楽先生に初めておあいしたのは、2003年?秋の広大舎(石川県能美市・谷田暁峯師主宰・2011年10月22日師のご西帰により道場の幕は閉じた)の報恩講でした。それからは毎年秋に広大舎の報恩講で聴聞させていただき、谷田先生ご夫妻と一緒に小松のご自坊(宗圓寺様・一楽典次住職=当時)の定例法座にお参りしたこともありました。
私が2005年3月17日に大谷派教師資格に補任され、同月23日~25日の住職修習(住職就任時の本山研修)に行った際には、一楽先生も研修を受講される新住職として参加。偶々の縁ですが、同じ班でしたので3日間同室でした。
拙寺への初のご出講は、2007年7月2日「紫陽花法座」と名付けた会座でした。
昨年秋のご法話の一節を以下に記します。
「親鸞聖人は、35歳の時に法然上人とお別れになられました。(承元の法難=念仏弾圧によって)法然上人は四国に流され、親鸞聖人は越後に流されたでしょ。親鸞聖人がナンマンダブツとお念仏を申されていた時、いつも法然上人のお念仏が耳に聞こえておられたんじゃないでしょうかね。ええ。自分一人でナンマンダブツと称えていた時も、法然上人と一緒に称えていたんじゃないでしょうかね。皆さんもそんなことがありませんか?称えていた人の声が聞こえてくるようなことが」
諸仏称名と衆生聞名は二即一、一即二でしょう。二願建立。その根底には親鸞聖人が越後の地で一人申す念仏に、励まされ、育てられ、よばれ続けた実験があったに違いない、と私は拝承しています。
たかがナンマンダブツ。されどナンマンダブツ。
如来本願顕称名。南無阿弥陀仏