「聞きまどいあるものなり」(蓮如上人)
2021.08.09
ある人「貴方(※暁烏師)の話を聞いておる時は心がハッキリするが、また後から悩みが出てくるのです」
暁烏師「そういうなら、まだ私の話を聞いていない。私は「もう悩みは出んぞ」と言うたのではない。「いつでも出るぞ」と言うておるのだ。それを「出んぞ」と聞いておるのだ。いくら聞いても聞いても出るぞ」
『暁烏敏和讃講話集(下)』175頁
『蓮如上人御一代聞書』48条(聖典864頁)に、肝心要の教えが書かれている。山科で蓮如上人が素晴らしいご法話をされた。「大切な教えだ。肝に銘じよう!」と感じた6人の門徒が、法話後に自主的に座談(談合)を行った。一人ひとりの受けとめは違っていた上、その内の4人は法話の趣旨を聞き違えていた、という。そして「聞きまどいあるものなり」と締めくくられている。
座談を開くほどに感動したのだろうが、いったい何に感動していたのだろう。
上掲の問答もまた然り。「聞けば悩みは出なくなるはずだ」との自己流の仏教理解が正しく聞かせないのだろう。地に足の着いていない幽霊の仏法聴聞。他人の話でなく、我がことであるだけに背筋がゾッとする。真夏の怪談・・。南無阿弥陀仏