『念仏と国家』暁烏敏師‐②
2022.02.13
「今の政治というものには、一番先に経済ということが出てくる。あれが私の気に入らんところです。経済というものが国の基になっとる。今日アメリカと日本との関係は、まるっきり経済でつながっておる。アメリカの経済上の援助を受けるから、アメリカの言うとおりに、こっちで軍備をせにゃならん、ということになる。受くべきものは受け、受くべからざるものは受けんという、はっきりした態度は経済為本の考えからは出てきません。政治というものには、理想がある。これだけのことをやるためには我々は生きておる、このために死んでもいい、生命を賭してやる、というものがなければいけません。そこに立派なものも出てきます。それには個人個人が独立者でなければなりません。我々が憲法を改正するということにも、その最後の覚悟ということにふれてゆかにゃならんのです。ただ経済上の探求のみにゆくのでない。政治は経済でない。経済をもう一つ超えたところになけにゃならん。・・
自分が独立せにゃ国の独立ということはない。宗教ということは、自分が独立するということです。何ものにもたよらない、ということが弥陀の本願に随順するということです。それができておるか」
暁烏敏『念仏と国家』より抜粋 (昭和28年8月21日講)
『暁烏敏全集』第20巻526―529頁
暁烏先生は昭和29年8月27日78歳にてご西帰されたが、その前年、師のご自坊明達寺(みょうたつじ・石川県白山市)の「夏期講習会」(8月15日~21日)の最終日の講話である。昭和26年に真宗大谷派宗務総長を務め、昭和28年が師最後の夏期講習会となった。占領統治が終わり、新たな日本が急始動する時代に語られていることが、信心の智慧に立った政治観として、今なお新しい。イデオロギーではなく、対症療法でもなく、かといって現実を離れずに事象の根本原因を言い当てている。
北京五輪は一面においては政治ショーの様相を見せ、ウクライナを挟んでNATOとロシアが対峙し軍事的緊張が高まっている。新型コロナ下の社会生活は、道筋が見えず、ゲームチェンジャーが見当たらない。それだけに、師の仰せが響いてくる。南無阿弥陀仏