『毎田周一全集』より
2023.01.16
ある原稿に、毎田周一師が伝える暁烏師の仰せを書いたのです。そこで、記憶している文言が正確かどうかを確かめる為、『毎田周一全集』の頁をめくっています。全12巻の内、恐らくはこの巻だったかな・・と見当をつけての捜索作業なのですが、探す目的を忘れてつい読んでしまいます。捜索作業は停滞しっぱなしなのですが、読まされてしまった次の一文には、足下を射抜かれました。
あるとき歎異抄第二節の話を一通りした。すると後の座談会で一人の奥さんが、「親鸞を知るためには当時の社会や歴史を知らねばならぬと思いますが、どういう風にして調べたら宜しうございますか」と、第二節を開いて親鸞に興味を持ったいまの心境を熱心に表明された。
―すると私はどんな返事をしたか。
「いま第二節に、「そんなことを聞きたければ、南都北嶺にもゆゆしき学生たち多くおわせられて候うなれば」、とあったように、東大にも京大にも立派な博士達がいるのだから、東京でも京都へでも行ってそれを聞きなさい。そんなことを聞くのは、今の第二節の私の話を少しも聞いていない証拠だ」と言った。
その奥さんはたちどころに座を立って家に帰り、その後再びその会に姿を現さなくなった。(『毎田周一全集』第6巻604頁)
真のご親切とは、まさにこれでしょう。
その「奥さん」が二度と姿を現さなくとも、毎田先生のこの仰せは、生涯忘れ得ぬに違いありません。そしてその真意が「奥さん」に到来したか、腹立たしい記憶のままだったかは、知る由もありません。
ですが、毎田師からこの仰せを引き出してくださった「奥さん」に私は深く感謝します。
私にとっては、池田勇諦先生からお聞きした「対象的学び(解学)」と「主体的学び(行学)」のあわいを浮き彫りにしてくださる問答です。南無阿弥陀仏