『背中―工房独語』(助田茂蔵)から
2022.04.30
去る4月28日(火)真宗会館「ご命日のつどい」に出講した折、『背中』中の珠玉の二文を引用、拝読させていただいた。反響が大きく、早速に四名の方から「法話で紹介していた『背中』という本が欲しいのですが・・」とのメールが届いた。1月に助田篤郎氏から施本が届き、法友東氏からも1冊いただき、直後に10冊注文した残部4冊を28日に会館に持参し、見事に完売していたから、追加注文を・・と発行所「日月文庫」佐々木祐子氏に電話で連絡した。
「もうないです。(故助田)篤郎さんが、’沢山刷ってワカラナイ人の手にわたって、放っておかれるようなことにはしたくないから再刷しない’と言ったのを私は聞いているからね。再刷はしない方針です」と、簡素にして見事なご返答だった。佐々木氏とは、幾度か電話で話したことはあるが、まだお会いしたことはない。長電話になったこともあったし、林暁宇師の書簡集をご注文下さったこともあったが、余分は言わない、サッパリ系のお方である。
ということで、法話に引用させていただいた助田小芳媼の述懐を以下に記すことにした。あとがきの位置に置かれた、「皺と背中 ―老いの宝― 助田篤郎」中の一節である。
「ほんとうにちょっとしたことで、いつも聞いていたことが、そのときに蘇(よみがえ)るというか、必ずしも聞いているときに頷(うなづ)けるということじゃないですね。むしろ疑問になることやわからないということが大事なのかも知れません。
私、若いとき病気ばっかりしましてね。もうちょっとこっちの気持ちに、なってくれればよさそうなものを、とか相手ばかり変えようとしていました。自分をそのままにして。
私、両親がすでに亡くなって帰るところもないわけですが、田舎でも(高光大船)先生のお話があれば、出掛けていってはご縁に遇いました。あるとき、ふっとね。家に柿の木と梅の木があるんですが、柿の木に柿がなったということがね。それは当然、柿の木に柿がなるんですけど、びっくりしましてね。柿の木に柿がなるんやと、このあたりまえのことに気づいたんです。そうしたら、一生懸命こっち向かせようとか、相手をかえようとか思うことが、間違いやった。柿の木は柿の木でいいんだ。梅の木には梅しかならないんや。ということが、ふっとね」(同書325-326頁)
南無阿弥陀仏。