ただこのことひとつ ― 池田勇諦師ご西帰
2025.07.05

池田勇諦師(法名 一道院釋勇諦・満90歳10か月)が2025年6月29日23時20分、三重県桑名市のご入院先にてご西帰されました。
ご自身が揮毫されたご法名、葬儀の際の引出物として予め製作されていた「聞法日めくりⅡ」(師の法語を記した日めくりカレンダー)、そして何よりも師が生涯を通して生み出した西恩寺僧伽によって通夜葬儀(7月3日19時通夜・4日11時葬儀)が勤まりました。

供えられた香資は真宗大谷派本山・桑名別院・同朋大学に寄進されます

真宗三門徒派の平光慈門主の通夜説教、葬儀における木越宗務総長自作の弔詞、西恩寺門徒会熊田光男会長、そして和田清一葬儀委員長(総代)のお言葉、池田徹ご住職の謝辞、 堂内を揺るがすような念仏の声、それらすべてが「仏法聴聞せよ、聞き破れ!」とのご催促であり、まさに池田先生ならではの僧伽の仏事でした。深く感銘を受けました。
「教学教化といっても、要は人が生れるかどうかだ」と仰っていたことを憶います。浄土の真宗を共有する―ただこのことひとつ―に全てをかけた、見事なご一生をまのあたりにさせていただいた感銘が湧きあがります。
『蓮如上人御往生御葬式之事』(『真宗史料集成』2巻706頁)には「兼て御遺言候いて、定めおかせらるる御事共、あまた候」と、蓮如上人が自らのご葬儀について細々とご遺言されたことが詳しく記されています。上人は、自らのご葬儀が仏法相続の始まりとして実りゆくことを念願されていたのでした。
池田先生の立脚地も同一です。回向された念願なればこそ、同一です。世間の終活セミナーとは異質な、生まれがいを果たしきる真実の終活と仰ぎます。


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テーマ「教学と教化」 講義後の座談にて
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ビールをいただきながら―


きわめて稀有な高光大船師の書は、真宗三門徒派平門主が先生に贈られたものです。法話でもたびたび取り上げたほどに、先生はご満悦。「加賀の三羽烏」の書が揃ったことをとても喜んでおられました。加賀門徒の血潮が法脈となって流れていればこそのご満悦でしょう。
その書軸の前にお棺が安置されていたのは、「ワシではなく、この書を見よ!」との池田先生一流のご教化ではないか―と深く感じいったことでした。
私の愚問に、粗雑な感想に、反対意見に、真摯に耳を傾けてくださいました。「説く人」であると共に「聞く人」でした。「聞く人」とは「聞ける人」であり「待てる人」なのでしょう。
もちろん私一人でなく、あらゆる人々を抱きかかえる、細やかな情にあふれていました。それは「仏法ひろまれ」の志願に突き動かされていればこそでしょうが、生まれ持った性分が仏法聴聞によって開花したに違いありません。
先生にとって、参詣者は「如来聖人のお客人」であり、銘々をして身を運ばせた「浄土の大菩提心」を礼拝されていました。
毎月(後に隔月)の「同朋講座」は、往時には200名を超える参詣があり、境内の同朋会館に泊まり込む人も数十名でした。
初参詣の際、講座後の夕食には、銘々に揚げたての一口カツとあんかけ豆腐等手作りの美味が並べられ、ビールやお酒、果物まで。夏場にはアイスクリームも振舞われました。さながら旅館のようであり、驚かされました。ご家族や役員諸氏を含めて、西恩寺僧伽に仕えておられ、並大抵のご苦労ではないでしょう。
新型コロナのパンデミックを挟んで、参詣は100名ほどになり、また仕出し弁当に変わりましたが、設営や清掃、ごみ捨てまで、どれほど大変なことか・・。
「寺院活性化事業」などを展開せずとも、ここへ来れば、自分に、そして宗派に、教区に、自坊に何が足りないか―が浮き彫りになりました。
親鸞聖人は師法然上人のご命日に「廿五日の御念仏」、念仏の集会を開いていたようです。林暁宇、池田勇諦両先生のご命日が奇しくも「二十九日」と重なり、 私にとっては 「廿九日の御念仏」がさらに賑やかになりました。
池田先生。浄土からご照覧くださり、引き続きご叱正ください。聖教に聞き学ぶ歩みを賜ってまいります。ほんとうにありがとうございました。南無阿弥陀仏