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コラム・法語
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「供華の菊捨てられてなお花保つ」岩瀬暁燈師

2020.09.19

岩瀬師・林師
㊧岩瀬暁燈師 ㊨林暁宇師 短冊を片手に句をしたためているのだろう

 共に明達寺(みょうたつじ・石川県)暁烏敏(あけがらすはや)師のもとで精進された同門の兄弟弟子、真宗大谷派僧侶である。撮影年月日等は不詳だが、短冊片手に句をしたためているようである。高浜虚子との親交あつく、歌も句も詠まれた暁烏先生に倣って、門下には俳人が多い。
 因みに秘書であった野本永久(のもと とわ)女史(1904-1990・佐賀県出身)は高浜虚子に師事し、俳句結社「万嶺吟社」を設立するなど、俳人としても知られた存在である。
https://tabi.chunichi.co.jp/odekake/12021ishikawa_haiku.html

 林暁宇師(1923-2007・北海道出身・真宗大谷派僧侶・明達寺衆徒・具足舎主宰)は、若くして結核を患い、死に直面したことが仏縁に転じた。いわば感染症の導きである。その後に思いがけず結核が治癒し、北海道庁に勤め社会運動に関わるが挫折。病弱の念仏者赤禰貞子(あかね ていこ)さんにすすめられて、昭和24年26歳時に明達寺暁烏先生の許に入門する。

 昭和29年に暁烏師ご西帰後も明達寺衆徒(所属僧侶)として寺内に暮らし続けている中で林暁宇師の身に結核が再発する。「親兄弟は遠く離れており、見舞ってくれる者もない」「明達寺との縁も入院時点で切られることになり、たとえ手術に成功して退院できたとしても帰っていくところもなく」「暗い療養生活」を片山津の国立療養所で送ることとなる。(後に完治して明達寺に帰られている)

 ある時、自らも結核歴のある岩瀬暁燈(いわせ ぎょうとう)師が見舞いに来られ、枕元に一枚の短冊を置いていかれた。その短冊に書かれてあった句が「供華(くげ)の菊捨てられてなお花保(たも)つ」である。「供華」とは仏華を指すが、「捨てられてなお花保つ」とはまさに願力自然の象徴であろう。
 林師は「思わず涙があふれ落ち、私は涙もろともその熱い根深汁(ねぶかじる)をすすった」という。
 そしてその時に生まれた句が「師を友として療養や根深汁」であった。師は友に成り下がってくださるのだ。

〈「」内は林暁宇著『坊主は乞食だぞ』より抜粋〉

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