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コラム・法語
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南無阿弥陀仏も間に合わぬから南無阿弥陀仏(藤原正遠)

2024.01.08

加賀の三羽烏のお一人、藤原鉄乗師の後に浄秀寺(石川県能美郡川北町)住職となられた藤原正遠師(ふじはら しょうおん)の仰せである。娘婿として入寺され、戦後の一時期は本山教学部長を歴任された師の世界は多くの念仏者を生み出した。

年初に大地震が、続いて羽田空港で大事故が起きた。救援活動が行きわたること、被災者の方々、そして知友同行の安否が案じられる。被災地が浄土真宗の土地柄であることから、過疎が加速し真宗の屋台骨が揺らぐことも危惧される。
それにつけても、初詣も、お守りも、お札も、星占いも、風水も、ゴッドも、仏も、神社の神々も、日ごろの行いも、念仏も、アーメンも、題目も、日ごろの仏法聴聞も、自慢のマイホームも、丈夫な身体も、「コレさえあれば安心だ」という思いも、「正月から災害は起こるまい」との私の正月気分も、事実が吹き飛ばした。思えば前住職の命日も、2002年元日だった。
「念仏しても何にもならないではないか!」というならば、その通りである。
だが、その期待外れが教えていることがあるぞ、と念仏はよびかけているのだろう。

  分からぬから南無阿弥陀仏
  助けがないから南無阿弥陀仏
  親も兄弟も間に合わぬから南無阿弥陀仏
  自分の心や身体も間に合わぬから南無阿弥陀仏
  南無阿弥陀仏も間に合わぬから南無阿弥陀仏
  そうなったらすべてがお恵み
  お恵みのまんまん中 南無阿弥陀仏

                    『藤原正遠講話集』第4巻133頁


正遠師の仰せは、幾度聞いても、その都度新鮮な響きをもたらしてくださる。「そうなったら」が飛躍点であろう。間に合わぬと知らせた「一念」は、自力無功即他力の発見、危機を転機に転ずるのである。
如来行である念仏をわが行・わが善根に持ちかえて、間に合わせようとする私に、『歎異抄』第八条は「(念仏は)行者のためには非行非善なり」と教えてくださっていた。念仏は人間行や人間の善根に非ず、如来が汝を救わんとする如来行であり大善大功徳なのだ、と。このことは、池田勇諦先生から教えていただいた要である。


拙寺共同墓「還帰廟(げんきびょう)」には、縁あって藤原正遠師・利枝師ご夫妻の分骨をお納めしている。南無阿弥陀仏

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