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コラム・法語
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大和仏教センター という道場

2020.07.18

奈良県橿原市に「大和仏教センター」という道場がある。 (☏0744‐22‐7283・目下休止中の法座もあるが縁あらばぜひご参詣を!)
暁烏先生の薫陶を受けた故岡本暁精・暁禮ご夫妻が学校教師の傍ら、自宅とは別に建立された道場である。岡本家も、禮子師の生家である中本家(石川県)も世代を超えて暁烏師に師事された家である。尚、ご夫妻西帰後はご息女である山西睦子様がセンターを相続され、大谷大学加来教授らが出講されている。

2018年5月27日大和仏教センター(奈良県橿原市)
故岡本暁精師ご夫妻(共に学校教師)が1970年に自宅とは別に私財を投じて建立された道場。真宗の土壌無き奈良において、当初は周辺の住民から白眼視され誰も参詣しないスタートだったと聞く。
2018年5月27日 香草会(こうそうえ=暁烏師記念法会) 
大和仏教センター。法会が始まる前や休憩時間に賑やかな会座は生きている。


林先生、谷田先生のご縁から、センターには度々お参りし、時にはご自宅に暁禮師をお訪ねしたこともあった。暁禮師は、その墨跡同様に柔軟にして芯(信)が通っている方であった。
十年余り前のこと。ご自宅で紅茶をいただきながら『暁烏敏全集』中のある記述 (第8巻345頁「絶対他力の大道」・昭和27年8月16日講) についてお訊ねした。失明されていた最晩年の暁烏師が法話中に居眠りした場面を速記者が記録しているのである。「・・(先生静かに眠りに入らる、この間32秒)・・」とは異例の記述であり、計測したからこその「32秒」だろう。昭和27年夏期講習会でのその一幕について話を向けると、暁禮師は「私はその場にいました。ハッキリと覚えています」と言われ、「あの静寂は、私の一生の中で最も静かな時です。先生はいつも目をつむっておられるから、誰も居眠りとは思っていない。堂内のみんなが先生の次の言葉を待っている静けさでした」とおっしゃったことが今も鮮明である。

2010年11月26日奈良岡本邸前にて
2010年11月26日奈良岡本邸前にて ㊨岡本暁禮師(禮子)㊧山西睦子氏
暁烏師書軸(2010年11月26日 奈良県橿原市 岡本邸)
「自らをさばくな 他をもさばくな 自らをきめるな 他をもきめるな ただ湧くがままに ただ燃ゆるがままに 自然(じねん)に 法爾(ほうに)に 本願の道をいかばや 大正第十 如月十二 敏」


数年前のこと。久しぶりにセンターに聴聞に伺った帰路、最寄りの近鉄真菅駅のホームで先刻までセンターで同座していたご夫妻に会った。電車を待つ間、雑談に及び、傍らのご主人に「聞法する身になったきっかけは何ですか」とお尋ねしたら、「自分は関心が無かったのですが、家内の父親が熱心でした。病気になり、最後の入院中に「全部お与えだ。病気もお与えだ」と言っていたのが印象に残り疑問になって聞くようになったんです」といわれる。「エッ!「全部お与えだ」と言われていたのですか。失礼ですが、お父様のお名前を教えてもらえませんか」。「ご存知ではないでしょうが、横山定男といいます」。「エー!大阪の写真屋さんの横山さんですか?」。「ハイ、私の父です」と傍らの明朗なご婦人 高谷真生様(たかたに まき様=横山氏の息女)が応答くださった。それからは話が弾んだどころでなく、乗換駅まで質問攻めとなった。センターが開いて下さった出遇いである。

そんないきさつもあり、その後の縁も重なって、大阪難波別院の機関紙『南御堂』の専属カメラマンだった横山法兄撮影の画像が別院に寄贈されていることを知らされ、高谷様からのご紹介を得て、別院所蔵の画像データの大半を頂戴することとなった。難波別院教務部池田部長(当時)にはお骨折りをいただいた。(貴重な写真データゆえ、別院の許可を得て教学研究所・親鸞仏教センターなどにもデータを提供した。尚本サイトに掲載した氏の画像は、難波別院から頂戴した画像と高谷様が拙寺に寄贈くださった画像の二種がある)
本サイト内の「十方恒沙の諸仏」に収まる写真の多くが横山定男法兄の手による。 暁烏敏師・曽我量深師・金子大榮師・高光大船師・藤原鉄乗師・高光一也師・かちよ師・藤原正遠師・利枝師・松原祐善師・暁烏哲夫師・西村見暁師・三味線婆ちゃん・池田勇諦師・明達寺ご一統の諸師方が写っているサンガの記録である。横山氏は訓覇信雄師・児玉暁洋師ともご縁が深かった。
林暁宇師から 岩瀬暁燈師と共に横山宅に泊めてもらった時のことを聞いている。いわゆる町の写真館であり、決して広くないお住まいに、しかも出産の為に帰ってきた娘さんと赤ちゃんも一緒に雑魚寝したという。夜中にトイレに行く際には誤って他の人を踏まないように細心の注意を払ったそうだ。当初は泊る予定ではなかったが、夕食を食べながら全く普通のトーンで氏が「泊っていってください」と言い出された。その際に氏が奥さんや娘さんの事前許可を得る素振りもなく、かといって亭主関白というのでもなく、特別にもてなすわけでもなく、全てが自然に運ばれ、真に公開された生活を垣間見た感銘を林師は語っていた。「十方微塵世界」というが「微塵」とは隅々までいきわたり、微細な言動の一つひとつとなってあらわれるということではないか。取るに足らない何でもないことが実はとてつもないことなのだ。

尚、横山定男著『詞集ありのままがありがたい』が 難波別院から 刊行されている。その一節を以下に記す。蓮如上人が度々おっしゃる「阿弥陀仏をふかくたのむ」(五帖目一通「末代無智の御文」他)とは、これだろう。「ふかく」とは浅くない、地平がまるっきり違うのだ。


何ごとも、一切当てにならんと言うているのでありますが、
仏の子はと言うていますが、
仏という思いをあてにしているのです。
なんにもあてにならんものが、
仏をあてにしているなんて、
とんでもないことである。
なんにもあてにならんということは、
一切あてにならんことです。

(前掲書81頁)

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