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コラム・法語
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愚者具舎(ぐしゃぐしゃ)

2023.05.02

文 林暁宇師 / 書 谷田暁峯師



去る4月22日(土)14時~17時、拙寺本堂にて「暁宇忌(ぎょううき)」が勤まりました。新型コロナウイルスの感染拡大により、3年にわたって休会を余儀なくされていましたが、今年は林暁宇先生17回会、谷田暁峯先生13回会の御正当でもあり、従来の一泊形式は見合わせたものの、半日の会座を開くこととしました。
尊前には「愚者具舎」(ぐしゃぐしゃ)の額を供えました。愛知県刈谷市の同行宅(道場)に、林暁宇先生が名付けた一言です。同行ご自身が「ぐしゃぐしゃ」の語感に頷けなかったおかげで、この額が拙寺に到来した由来があります。

林先生ご西帰から16年が過ぎ、ご常連の多くもご西帰、あるいは外出叶わなくなられました。22日は都区内でのいくつかのご法座と重なる日取りでもあり、また地方からお参りするには、都心のホテルは予約さえ困難な状況、宿泊代は急騰しています。ですから、参詣は少なかろうと思っていました。
ところが不思議なもので、各地からお供えが次々に届き、当日には石川県、富山県、青森県、岐阜県、茨城県から拙寺にお参りされた方を含めて本堂には31名、北海道や石川県、九州など各地からZoomに参詣された方が22名になりました。初参加の方も9名おられ、法縁の不思議を感じたことでした。

具足舎(石川県鍋谷町ツ32-1・建物は現存)


林暁宇先生がご西帰された 2007(平成19)年 4月29日の翌日の夕刻、先生ご夫妻の住居「具足舎」(石川県)にて仮通夜が営まれました。東京に暮らす私には、集落全体に「今夜六時から、鍋谷町ツ32-1にて、林茂さんの仮通夜が勤まります」との放送が流れたことだけでも驚きでしたが、六時近くになると十畳の「兼六室」(仏間兼居間兼書斎兼食堂兼・・の意味で師が命名)には、40名ほどがお参りされ、入りきれずに台所や廊下でお参りする人もおられました。

さらに驚いたのは、谷田先生が「仏説阿弥陀経・・」と調声されると、参詣者が一斉に「ニョーゼーガーモン・・」と唱和され、その声が室内に満ち満ちたことでした。何の案内もしていないのに、銘々が肩衣をつけ、念珠と経本を手にお勤めしている―。蓮如上人以来の土徳が眼前の事実になって迫ってきた感動は、今も深く刻まれています。

具足舎 兼六室
全国各地から毎日多くの方が訪ねてきていた 手紙も日に10通~20通は届く 林先生は一間きりのこの兼六室で応対し、食事を共にし、NHK「こころの時代」の収録もこの部屋だった 2階に泊る方も大勢おられ、長逗留する方もいた 毎日必ず通う地元の同行も数名はおられた 生涯にわたって、どれほどの人の苦悩を聞かれたことだろうか 同居されていた石井輝子さん(現在は北海道芦別市に夫妻で転居)やパートの事務員さんが食事を振る舞い、お茶を出し、書籍の注文を受けていた 自費刊行の書籍は年間15000~20000冊ほどがこの小さな一室から全国へ発送されていた 

仮通夜のお勤めが終わり、すし詰めの室内でお茶が振舞われ一服していると、隣に座る老翁がポツリと「林さんは、いい人やったなぁ」とつぶやかれました。法座では、お見かけしたことがない方であり、お名前も存じ上げません。恐らくは鍋谷にお住まいの方なのでしょうが、林先生でなく「林さん」と言われた、ある種の新鮮さが私の中にずっと残っていました。

この度の法会にて、親鸞聖人がこよなく敬愛された本願念仏の証人「いなかのひとびと」は、まさに「ひとびと」であり、その一人として「林さん」は生きられたのだと、初めて気づかされました。


住職でもなく、教学者でもなく、暁烏先生の「坊主は乞食だぞ」の一言に生きられた「林さん」は、これからもいぶし銀のように輝き、ひそやかに語り継がれていくことでしょう。
肝心要の一点は、本願というも、念仏というも、人を離れてはたらく場所はないということです。「ぐしゃぐしゃ」の生涯丸ごと、如来の実験場所になさしめるのが本願であり、それが一切衆生に開かれた仏道の実際でしょう。「ぐしゃぐしゃ」が「愚者具舎」に転成せしめられる実験です。南無阿弥陀仏

小松駅から約15キロ 車で20分強の距離です 両側に山の稜線が迫る鍋底状の地形から「鍋谷」と命名されたようです 谷田暁峯先生の実家の敷地内に具足舎はあります 

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