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コラム・法語
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戦争は起こらぬか

2023.12.22

世界中が惨状を晒した第二次大戦が終わって間もなく、1945年10月に中国では内戦が起こった。後に蒋介石率いる国民党は台湾に撤退し、毛沢東が中華人民共和国建国を宣言する。アメリカは 国民党軍に軍事援助していた。
1950年には朝鮮戦争が勃発し、38度線を境に韓国と北朝鮮に分断され、現在も休戦中であって戦争は終わっていない。

ウクライナへのロシアの侵攻、イスラエルとパレスチナの戦闘が継続するままに2024年を迎えることになるだろうが、昭和23年、暁烏敏先生が「戦争は起こらぬか」という題の下、寸言を寺報『同帰』に掲載している。現実を直視する慧眼は「濁世の目足」(じょくせのもくそく・聖典402頁)と言えよう。

以下、抜粋を掲載する。


○人間のすることで最も愚劣なことは戦争である。勝っても負けてもろくなことでないのは戦争である。こういうことを何千年も前からやってきているのである。これまでやってきた。これから後もやりそうに思われる。

○横綱が二人居っても見物のないところでは相撲をとられない。大国が戦争をしようと思うても世界中の人々が顔をそむけて戦争を見物しようとするものがなかったら馬鹿らしくて戦争は出来ない。・・人類に戦争見物の興味がある間は世界に戦争の跡は絶つまい。戦争の嫌いな者は十万億仏土の向こうにある極楽浄土に往生するより外はない。

○新憲法には最初に平和国家を標榜(ひょうぼう)しておきながら、経済闘争をほとんど奨励的に是認している。・・人類の心の状態を適性検査してみると、戦争に適する者は多くして平和に適する者の少ないのが現状ではあるまいか。「帰去来(いざいなん)、魔郷には停(とど)まるべからず」(聖典284頁他)と叫ばざるを得ない。


さらに「愛国者は愛する国を滅ぼす」(『大衆と共に』暁烏敏全集19巻392頁)とも。池田勇諦師はイデオロギーの限界を「マルクスも見抜けなかった人の欲」と喝破されている。もちろん民主主義も然りである。

西村見暁師の次の一文が、仏法が開く「見地」を的確に言い当てている。

「萬物一体の原理に立つ精神主義は自分の属する社会なり国体なりを自分の外に見ない。自己の外に社会なく、社会の外に自己なしという見地に立つ」(『西村見暁『清澤満之先生』299頁)、この見地に釈尊も親鸞聖人も清澤先生もおられる。

私に内在する闘争心を照らす光に遇う時、その因が発動する縁を遠ざけん、との態度決定が生まれるのだろう。
因に立って縁を問う。ここに聖徳太子以来の生活者の仏道実践があると思う。軍備増強に向かう日本にあって、「窮鼠(きゅうそ)のほほん」(池田勇諦師)では済まない、と自戒させられる。

よーく考えよう! 南無阿弥陀仏



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