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コラム・法語
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散る桜残る桜も散る桜 (伝 良寛上人)

2023.04.08

桜の開花の早かった今春は、散るのも早かったのだろうか。
名高い一句をあらためて憶う。良寛上人には、桜如来のご説法が聞こえていたのであった。軍歌ではないが「咲いたからには散るのは覚悟」とは、厳粛な道理である。そして、散る桜も残る桜も、その根は一つ、根源的に不可分なのだ。

入院中の暁烏敏師が見舞い客に渡していた書がある。それを門下の毎田周一先生は受け継がれた。さらに毎田先生からその一言を書いた色紙をいただかれた中川皓三郎先生は、「いつも研究室に掲げています」とおっしゃっていた。中川先生は若い頃から、自死願望があったそうである。

「於麻江毛志努曽」(お前も死ぬぞ)

真実はいつでも簡潔である。問題は「於麻江」が自分のことと聞きあてられるかどうか、である。

池田勇諦先生は、仏法の手ほどきを受けた祖母から「死」について繰り返し聞かされ、ある種のノイローゼになった・・と告白されていた。幼児に向かって死の問題を突きつけるなんて、現代では虐待だ!ハラスメントだ!と騒がしいだろうが、死の恐怖が池田先生を仏道に押し出したのだから、何が善だやら、何が悪だやら。ご示談では「わっら(お前ら)、わっら、後生の一大事はちょうついとるか(片がついたか)」と迫り、幼児にも死の問題を突きつける。「後生の一大事」を立てねば、今生を丸ごと問いかえすことはできないということだろう。浄土真宗の土徳は何とも凄まじいが、真のご親切とはいったい何であろうか。南無阿弥陀仏

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