暁烏敏師『人生の矛盾とその解決』
2022.08.30
大正14(1925)年5月4日・5日、当時48歳の師が新潟で二日間講じた記録です。林暁宇先生は「基礎工事が大事やぞ」と常々仰っていましたが、平易な言葉で綴られたこの一文は「大事な基礎工事」と受けとめます。清澤満之先生の膝下で「仏教用語を使わない仏教雑誌」とのコンセプトを立てて、サンガ浩々洞の同人誌『精神界』の編集発行人を務めた師の感性が光ります。以下、その抜粋です。
一人の青年が「先生、人間は死んだらどうなるんですか?」とききますから、「貴方の言われる「人間」とは、誰のことです?」とききますと、「ここにも沢山いますが、まあ私です」と言います。
そこで私は言いました。「あなたの死なれた後のことがあなたにわからなければ、他人である私にどうしてそれがわかりましょう。が、もし強いて私にあなたの死んだ後のことを言わしめれば、あなたが死ねば親族の人々が集まってあなたを焼くか埋葬するか、そのどちらかが行われましょう。
そしてもし焼くとしますと、あなたの一部分はガスとなって空中へ飛び、またある一部分は骨になって墓に納められ、やがては土と化するでありましょう」と申しますと、「それからどうなるかということを聞いているのです。そんなことなら、知っています」と言いましたが、実にこの青年が訊きましたように、それから先がわからないのであります。
ところが、お寺や教会へ参りますと、いかにもわかっているらしく説いております。あれがおかしいのです。死後のことがわからねばこそ、死があまりにも定めないものであればこそ、万人をして驚かしめるのであります。誰にも死というものが真実にわかっていなければこそ、大問題なのであります。( 『暁烏敏全集』15巻 582頁)
今さらのように、いかなる道によっても、またいかなる神々によっても、ついに自分を救い得る道の無いことに驚きになったのであります。かくして神々の世界にさえも、なおかつ自分を救い得る何ものもないことにお気づきになった釈尊は、そこに初めて、この世の一切のものの中に救いのないことをお気づきになりました。かくして釈尊は、初めて自分一人の道に進み出られたのであります。(同上584頁)
救いとは、この悲しい私たちのこころからの願いを、いつまでも忘れないで、素直にこの悩みを力の限り悩み通してゆくことなのではないでしょうか。(同上593頁)
内省とは、ほんとうに明るい智慧の眼を開いて、はっきりと自分自身を凝視することであります。自分自身を凝視するとは、しずかに自分自身の現実のすがたを観照することであります。即ちその貧しさを真にその貧しさとして観(み)、その痛ましさを真にその痛ましさとして痛むとは、やがてまた真にこれらの一切を癒すことであります。(同上594頁)