清澤先生の根底
2020.06.06
本日6月6日は、清澤満之先生のご命日である。直門の暁烏敏師が「明治三十六年の 六月六日朝一時 血を吐きながら念仏を 称(との)うひまなく逝(ゆ)きませり」(『清澤満之先生讃仰』四十八首和讃 第四十五首)と詠われしとおり、満四十歳に満たぬ先生はいそぎ浄土に帰られた。
暁烏師いわく「清澤先生はわからぬということのわかった人である」「しかし私たちは、この(清澤)先生の到達点から出発することがあってはならぬ。ここは先達の言葉をいただくうえによほど気をつけてならないところです。先達は骨折ってここまでいかれたので、それをはじめから「どうせ愚痴だから」「どうせ馬鹿だから」と決めてかかる。そうして愚という看板を上げ、無智という面をかぶって、中身はなかなか賢いのである。これは真宗の坊さんや同行に多いのです」。(『暁烏敏全集』19巻620・621頁)
私のたくらみがすべて見透かされている。ということは暁烏師もそこを通られたに違いない。
以下の一文は名著『清澤満之先生』(西村見暁師)の一節である。「根底」とは「宗」であり「立脚地」であり「畢竟依(ひっきょうえ)」である。
『ソクラテスと釈尊の宗教的信念が「不可思議の乗托」という一事をもって清澤先生に結晶したのである。釈尊の正覚が無明の自覚であり、ソクラテスの智慧が無知の自覚であったように、清澤先生の信心は不可思議の自覚であったのである。無明といい無知といい、不可思議といい、共にわからないものがわからないとうちまかせることである。
いや、うちまかせざるを得ないのである。このうちまかせるという一事によって不可思議は妙用として現前するのである。清澤先生の宗教的信念はただこの一点にあるといってよい。後年「精神主義」のもとに知られた清澤先生の思想は、ここに不動の根底を持つのである』
西村見暁著『清澤満之先生』(法蔵館)231-232頁