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コラム・法語
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清澤満之と司馬遼太郎

2023.08.10

2023年8月6日 産経新聞

司馬遼太郎が清澤満之の存在を知ったのは、記事にある通り、新聞記者時代に担当していた東本願寺の宗務総長暁烏敏師を通じてである。
だが最も大きな「たね蒔き」は、司馬の中学時代の恩師であることは言うまでもない。「凡夫」との目覚めを「日本の歴史の中で最も偉大な発見」と言われた、その恩師もまた、いつか、どこかで、いくつもの「たね蒔き」が結実していたからこそ、である。本願の歴史を知らされるばかりである。
尚、記事には書かれていないが、清澤満之が尾張門徒の実母タキの求道心を相続した「念仏者」だったことこそ、最も大事な一点である。
島﨑暁民師いわく「宗教から哲学は生まれるが、哲学から宗教は生まれない」。何と簡潔で的確なお示しであろうか。

昭和26年4月号の機関誌『真宗』誌には、当時28歳、後の司馬遼太郎・本名「福田定一」名でのコラムが掲載されている。寺院社会の一面に対し、的確かつ痛烈な批判だが、このコラムを掲載する判断を下した当時の宗派は実に健康である。 暁烏総長在任中の珍事なのかもしれない。
現在ではこのような一文が掲載されることは、絶対にありえない。70年余りを経て、我々僧分の「村落貴族」体質の「たね」もまた引き継がれてきてしまったようである。うーん・・。南無阿弥陀仏

『真宗』 昭和26(1951)年4月号 福田定一(後の司馬遼太郎・28歳当時)

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