真の朋友
2024.03.26
3月上旬、石川県白山市称佛寺様に島﨑暁民師を訪ねた。「宗教教育」の観点で暁烏敏師の足跡を調査研究されている大谷大学真宗学科マイケル・コンウェイ准教授から調査協力を正式に依頼され、紹介方々同行したのであった。
昨秋には松田章一氏宅に案内し、松田先生に同行いただき、金沢大学「暁烏文庫」を訪ねた。(暁烏師は無類の読書家。明達寺には仏教に限らず、内外の思想哲学、美術、洋書、科学など、極めて幅広い蔵書があった。昭和22年、戦後の教育に役立ててほしいと蔵書約5万5千冊を石川師範学校(当時・現在の金沢大学教育学部)に寄贈、「暁烏文庫」と命名され現在に至る)
今回は前日に金沢大学で調査をされていたマイケル先生と金沢駅にて11時に待ち合わせ、レンタカーで称佛寺様に向かった。
冷雨が降る当日、94歳の老僧はストーブだけでは暖まりきらない本堂に、コートを着たまま椅子に座っておられた。本堂に入るなり、往年の田中角栄のごとく(笑)、座ったまま右手を挙げて満面の笑顔で「WELCOME!ドクターマイケル!!」。
まさしく「同一に念仏して別の道なきがゆえに」(曇鸞『浄土論註』聖典190頁他)であり、真理を媒介とする「真の朋友」(清澤満之師)を見せつけられた。例えば、同郷の人同士、あるいはゴルフ仲間、また育児に奮闘するママ友やイクメン仲間という具合に人と人とのつながりは様々だが、「無限他力」を根拠とするのが「真の朋友」だから、年齢も国籍も趣味も性別も不問だったのだ。
先生のご体調を案じていたので、今回のインタビューは1時間ほど、あるいは30分でもと思っていたが、 維摩居士さながらの弁舌は2時間を優に超えた。金沢駅16時48分発には、ギリギリ間に合ったほどの長広舌に遇えた。
開口一番、「小学校の時、親父を刺し殺してやろうと思いましてね」から始まり、清澤先生、カント、ソクラテス、親鸞聖人、佐藤一斎、聖徳太子、さらに混迷する世界情勢に話は及んだ。
帰京後に島﨑先生からお便りが届いた。文中には「友アメリカより来たる。また楽しからずや」とあった。
島﨑先生は6月6日の愛知県西方寺様における「浜風臘扇忌(ひんぷうろうせんき)」に出講予定だが、そのことも手紙に書かれてあったので紹介する。私事でなく公事である。
「西方寺様へリモート(zoom)のお許しをお願い申し上げます。死ぬ前に清澤満之先生のお墓参りがもう一度できるかと狂喜したのでしたが、その後のデイ・サービスも好転せず、自損損他の身にて、こだわらず、〈ムリをするな〉と如来の大命を聞いて、無念ではありますが、リモートに決しました。又お世話になります」
如来の大命を拝命しつつ生きる人を「独立者」という。自我分別からの独立の一念とは、実に落在の一念である。
それにつけても教義を覚えただけでは、こんな手紙は生まれない。真宗大谷派に清澤満之先生あればこそ、である。「如来とは何ぞや」でなく「自己とは何ぞや」を掲げた清澤先生は、実に大きい。その姿勢は今なお光彩を放っている。南無阿弥陀仏